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立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
思考と行動
社会学部現代文化学科3年
中村俊輝

今回で唐桑ツアーへの参加は最後になる。唐桑ツアーの企画・運営を行うFrontiersは3年の秋に引退することとなっている。私も今回で最後だからという気概で参加した。今回ツアーに参加する際の目的は「唐桑ツアーを楽しむ」ことであった。というのも、運営をする学生は常にベストな選択を取り、初参加の人に多くの気づきを与えることが求められる。そのため常に自分が手本となるように行動しようと振る舞ってきた。ただそれはとても疲れることだった。正直、来ないという選択もありえた。しかし私にとってはこれが最後のチャンスだった。最後に楽しい思い出で唐桑ツアーを終わろう。そう思って唐桑ツアーに臨んだ。

初日の夕、私はこれから2日お世話になるお宿のつなかんのブロック塀に腰掛けていた。私は後輩である珠村くんに「全然楽しくない」と呟いた。それは、御崎神社でのことが原因だった。神主さんの話を聞きに行ったが聞きたいことが定まっておらず、共有もできていなかった。そのため自分の思うように話を進められない。もどかしさや苛立ちが出てくる。次に何をしたらいいのか決められない。なにをしたいのか、目的はなにか、と引率の小倉先生・田北先生に問いただされる。ただ先生に敷いてもらった道を進むのも癪だった。どうしたらよいのかと考えるとなにもかもが面倒臭くなった。あと3日いい子でいられれば東京に帰れるその思いだけだった。
夜は地元のまちづくりサークル「からくわ丸」をお呼びした。からくわ丸のメンバーの自己紹介が終わると私は真っ先に総大将である立花淳一さん(じゅんさん)のもとへ向かった。団体の規模は違えど、中心人物として私と繋がる部分があるのではないか。現状を打破できるヒントがもらえるかもしれない。近づいたのはそういう理由だった。だがその期待は半分くらい外れていた。外れていた部分は物事に取り組む際の姿勢だった。じゅんさんは、からくわ丸のようなまちづくりサークルは難しいことではあるが細く長く続けていくことを目指してやっていかなければいけない、と語っていた。からくわ丸のメンバーは皆仕事をしながら夜に会議を行っている。すなわち本業ではない。そのため楽しまないと続けていくことができない。楽しさを優先させて物事を決めていると語っていた(間違っていたらごめんなさい)。この尺度の存在は私もわかっていた。だからこそ楽しもうと思って今回のツアーに臨んだ。ただ上手くやらなきゃいけないと考えるうちに楽しむことやみんなが楽しめるようにするにはどうしたらよいのかという考えが消えていた。
からくわ丸と別れたあと、掘りごたつをツアーに参加したメンバーと囲んでいた。俺が初めて唐桑ツアーに参加した2014年の9月のときはああだったと昔話をしていた。初参加だったが予定に組み込まれていなかった行動を先生にお願いして入れてもらったことがあった。夜の話の中でそのことが強く思い起こされた。最初に参加したときのほうが明確な意図を持って行動していたし、柔軟な発想ができていたんじゃないかと思った。やっぱり悔いを残して東京には帰りたくない。夕方のとき考えていたこととは真逆の気持ちで深夜の2時半に床についた。

2日目は陸前高田市で梱包資材や菓子材料の販売をする米沢商会代表の米沢祐一さんにお会いした。昨年私は米沢さんに授業でライフストーリー・インタビューを行った。その縁もありご自宅に泊まらせていただくなど深い付き合いをさせていただいている。正式に保存が決まった米沢商会ビルに登り、3月11日当日の動きを再現してもらい津波の恐ろしさや新しい町について語りをしていただいた。唐桑ツアーで米沢さんの語りを伺うのは7回目だが、私が初めて参加した2回目の語りよりも明らかに話に厚みが出ている。今までに100回以上語りをしたと仰っていた。私が初めて参加してから2年近く経ち記憶としては薄れていくのが世の常である。しかし話すことで思い出し個人と繋がれるという米沢さんの言葉通り、語りの対象が受け手だけでなく亡くなった家族や町の人々にも広がっているようだった。それだけに米沢商会ビルで語りを続けることの重要性がより一層感じられた。
話を聞いているうちに、自分が米沢さんと他のメンバーを結びつけることが今までできていなかったことに気づいた。米沢さんの語りを聞いてもらうことは米沢さんを知る上で入口となる一番大切なことである。ただ学生と米沢さんが1対1で話せる場があったほうが語りの場で現れにくい米沢さんの人柄をより理解してもらえるのではないだろうか。そのことに悩んでから米沢さんの話が頭に入らなくなるほど悩んだ。このまま帰ってしまったら後悔すると感じ米沢さんや小倉先生と相談した。そこでお店に戻り少人数で話をすることが決まった。延長戦をできることが決まったことで一安心つけた。
しかし次の瞬間には、この延長戦に参加したいという人は出てくるのかという不安に苛まれた。ただ自分が全体を振り回しているだけなのではないか。米沢さんの話を聞きに行きたいと手を上げてくれる人がいるのか聞くのが途端に怖くなった。タピックでみんなを集めて意を決して自分の想いを伝えた。すると初参加者から4人手が挙がった。経験者が手を挙げなかったのは遠慮もあったのだろう。とにかく行きたいという意思を示してくれたのが嬉しかった。初参加のときはみんなの合意を得ずに私の想いだけで動かせてもらった。そのため追加で動いた部分に関しては行く目的の共有がしっかりできていなかった。今回はその共有がしっかりとできた。5人を乗せた車は米沢さんのお店がある高田大隅つどいの丘商店街へと向かった。米沢さんとの話は他愛のないものだった。学生の住んでいる場所や米沢さんの娘さんの話など私が橋渡し役となって話すことができた。このことでみんなが唐桑ツアーとして唐桑・陸前高田に行く意味や今年度のコンセプトである「ボランティアらしくないからできること」を感じることができたのではないかと思う。唐桑ツアーでできた関係性を私自身も大事にしてみんなを連れて会いに行こうと思う。

1年生の9月に先輩に連れられて唐桑ツアーに行った。そこから2年経て連れていく側となった。これからもどのようなかたちであれ、唐桑・陸前高田に通う人間が絶えないでいてほしい。唐桑ツアーはその1つの形態である。今回も多くの人々の協力のもとで運営されてきた。今秋から出張される小倉先生には2013年5月の初回から10回運転手として参加していただいた。また唐桑ツアーのコンセプト形成にも深く関わった。小倉先生が関わらない唐桑ツアーは次回が初めてである。先生が日本にいない間にどのような変遷を辿っていくのかというのも興味深い。
今回のツアーは事前の準備不足だった。ただ期間中に今できる最善の動きは何なのかを意識して行動をとるようになれた。準備していなかっただけ融通が利いたのだと思う。今まで唐桑ツアーのスケジュールの緩さを良いと思ってこなかった。いろんな場所に連れて行ってあげることやそれが決まっていることで安心感を与えられると思っていたからだ。しかし事前に決まっていなくとも全体に向けて動きや目的の周知ができれば問題ないことがようやくわかった。そのことは次回以降大切にしていってほしい。また行動に移すか悩むものは可能な限り行動に移してほしい。あれもやろうこれもやろうでは、行動の目的の周知が疎かになってしまいがちになるが消極的な動きは取らないでもらいたい。思考と行動が両立すれば、最善の動きが導きだされると考える。と言ったうえでこのことは聞き流してもらえればと思う。みんなにお願いしたいのは「唐桑ツアーを楽し」んでもらいたいこのことだけです。


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【2017/03/26 19:52】 | 活動報告
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