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立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
唐桑ツアー報告書
異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科1年 
岩邊夏帆

 東日本大震災が起こったとき、私は中学二年生でした。静岡県出身で幼いころから「いつか大きな地震が起きる」、「ここまで津波が来るだろう」とよく言われていた私は津波の映像を見ながらどこか他人事には思えず、しかし同時にそれが現実に起きているとは信じられなかった。それから五年間、被災地のためになにかしようと行動することなく過ごしてきた。その間、同じ日本国内で起こったことであるのに、どこか遠いところで起こったことのように感じていた。しかし、今回唐桑ツアーに参加し、被災地を訪ねたことで、震災は実際に起こったのだ、そこには街があり、人が暮らしていたのだと実感した。それは当たり前のことだが、私にとっては大きな衝撃であり、同じような衝撃をより多くの人に感じてほしいと思った。
 ツアー1日目は岩手県陸前高田市を訪ね、米沢祐一さんのお話を伺った。米沢さんは地震が起こる前から救助されるまでの経験を時系列に沿って、米沢さんが避難した米沢ビルで、話してくださった。地震発生前には幸せな日常があったこと、津波が来るとは思いもよらなかったこと、津波によって町全体が海と化したこと、米沢さんの語ったすべてが衝撃的だった。米沢ビルの屋上は風が強く、凍えるような寒さで、津波が町を襲ってから翌日救助されるまで、米沢さんが一人そこで過ごしたときの状況がどんなに厳しかったのかわかった。話をする前とした後で、米沢さんは「今日聞いたこと、見たことをふと思い出したときでいいから、家族や友人、恋人に伝えてほしい」「半年後、三年後、五年後の陸前高田を見に来てほしい」と言っていた。その言葉で2日目以降の私の唐桑ツアーへの取り組み方が変わった。初めは現地で自分たちにできることは何なのか探る目的を持って行ったが、今回ツアーで見たこと知ったことをできるだけ多く、東京や地元の友人に伝えたい、たくさん写真を撮って帰りたい、それが東京に本拠地を持つ私たちにできることではないかと思うようになった。
 2日目には、陸前高田市の震災遺構を巡り、一本松に行った後、気仙沼市の安波山で地震発生時刻を迎えた。この日は誰かに話を聞く機会は少なかった。しかし、3月11日を陸前高田と気仙沼で過ごせたことはとても価値あることのように感じた。ついこの間まで遠いどこかで起こったことのように考えていたのに、今私はその土地にいるのだと意識し、安波山から見下ろせる、静かな町を地震と津波が襲ったのだと考えると不思議な感覚がした。一つ、2日目に驚いたことがあった。唐桑ツアーに参加する前、5年間なにもしなかった、今回はじめて東北を訪れる私が、3月11日をその地で迎えていいのだろうか、受け入れてもらえるのだろうかと不安に思っていた。しかし、当日、意外にも自然に安波山で黙とうをし、陸前高田市の追悼式会場で献花をさせてもらえた。不安に思っていた具体的な理由はないが、そのことにとても驚き、それと同時に、再度なにか自分にできることをしたい、考えたいと思った。
 3日目には7月の出張カエル塾でもお話を伺った馬場国昭さんにお会いした。馬場さんとの会話の中で、唐桑ツアーの意義について考えることができた。唐桑ツアーはほかのボランティア活動とは異なる点が多い。今回初めて参加する私にとってそれが正しいのかどうかわからなかった。ツアー3日目には来てよかった、また来たいという感想を持っていた。しかし、それはツアー参加者としての感想であり、現地の方々がどう思っているかは見当もつかなかった。馬場さんは私たちに訪れた学生たちの笑顔について話してくださった。それによって現地に来て何かをすることではなく、現地に来て現地の方と交流する重要性を実感した。先輩たちが続けてきた唐桑ツアーの価値を知ることができた。
 2016年3月に東北に訪れたことによって、私は自分の東北とのかかわり方について考えさせられた。今回のツアーでは、第一にツアーで自分たちが得たものをより多くの人に伝えたい、同じ経験をしてもらいたいと感じた。それが私にできる価値のあることだと思う。また、必ず来年度も東北に行きたいと強く思った。変わっていく様子を見てみたいし、先輩たちのようなつながりを築いていきたい。

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【2016/04/19 15:49】 | 活動報告
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