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立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
唐桑ツアー 報告書
                                                       社会学部現代文化学科2年 加藤美帆

 2015年8月、震災から4年と半年後、私は震災後初めて東北を訪れた。このツアーに参加したきっかけは、学部の仲良しの友達がフロンティアーズに入っており、話を聞いているうちに唐桑という地を訪れたくなったからだ。
 今回のツアーで感じたことのひとつは、唐桑の人々の魅力だ。地元の人々だけでなく、よそ者である人間も歓迎する、あたたかさがある。初日に馬場さんと夜ご飯を一緒にとらせていただいた時は、初めてかえる塾を訪れたにも関わらず、馬場さんの包容力に触れることですごく安心出来た。友達から伺っていた通り、とても面白く魅力的な男性だった。印象に残ったことは、馬場さんが講演会でおっしゃっていた「震災ありがとう」の意味を理解出来たことだ。お会いする前にその話を聞いた時、私には理解できなかった。想像もできないくらい心にも環境にも被害を受けた震災であったと考えられるのに、なぜそんなことが言えるのか。しかしそれは彼が震災後東北に訪れるボランティアや学生を「旅人」と称し積極的に受け容れ、震災によって生まれた関係性を震友→親友→深友へと発展させた、包容力にあるのではないかと考えられた。「震災ありがとう」と言える彼の人としてのたくましい生きる力を強く感じた。
 最終日は福祉の里という仮設住宅を訪れた。一時の仲であるにもかかわらず、わたしたちを手作りのお菓子でもてなしてくださったり手作りのミサンガまでいただいたりした。そこで出会った少年は気持ちよく、別れ際バスが出るまで見送ってくれた。このようなあたたかさに触れ、より唐桑を訪れたい気持ちが強まるばかりであった。
また、感じたこととして、4年半という時間は経っているが、震災は終わっているものでなく、被害を受けた人にとっては人生を語るうえでもはや欠かせないものであるという現実も痛感した。                                
米沢さんに実際に陸前高田を案内していただいたことで、当時の状況、様子、心境をテレビなどのメディアで知るよりずっとリアルに感じることが出来た。特に衝撃的だったのは、米沢さんが屋上へと逃げるまでの説明により浮かんだ情景だった。はしごのぎりぎりの高さまであたり一面海水が覆い尽くし、はしごで踏ん張りながら津波の動きに耐えていた、という話を実際に踏ん張りながら想像したら、気が滅入ってしまいそうだった。またお話で、そこから津波に飲み込まれる避難所であった図書館を見て、そこに逃げたご両親と弟さんが亡くなるのを確信した、と聞き、家族が無事でいてほしいという一番に願うはずであろう希望がもてない程、津波はすさまじかったのだと改めて想像出来た。最後にベルトコンベアーがり盛り土が広がる現在の陸前高田を前に、以前の道路の跡を見ながら、米沢さんから以前の街並みの説明を聞かせていただき、わたしが初めて目にした陸前高田は盛り土が広がる何もないところだけれど、ここには確かに人々が暮らし、地域の絆があった住民の故郷なのだと強く感じた。米沢さんはこれからの陸前高田にはっきりとした希望をもっていらっしゃり、五年後、十年後も是非見届けてほしい、今とは全く違う光景が広がっているはずだから、とおっしゃられ、その言葉は心に強く残った。また訪れたいと強く思っている。
 私にとって今回の唐桑ツアーは夏休みのひとつの大きなイベントのつもりであったが、それ以上の、人生において忘れられない人々の出会いをもたらしてくれたものになった。
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【2015/11/24 17:06】 | 活動報告
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