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立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
東北を身近に~なぜ東北に行くのか~

社会学部2年 山本武

 今回の唐桑ツアーでは前回より運営側として動いた。ツアー後、運営面として考えるべきことがたくさんあった。参加者の主体性を重視しようとしても事前に東北について情報の提供がないと自分たち運営側も含めて「ここに行きたいとか」、「あそこを見てみたい」なども考えることができないことを知った。そのため、今回は引率の先生や院生の方のおすすめにほぼ従う形でしか動けなかった。次回は自分たちの意向に合わせられるような準備ができたらと思う。
 個人的には、なぜ東北に来るのかをとても考えさせられた。今回初めて東北に行く人が多かったので津波の被害が見てわかりやすい場所に行くことがあった。私は何回か行ったことがあったのだが、正直、その光景を見ても驚かなくなっていた。前回も同じようなことを感じていたのだが、今回はずっと同じ場所を見続けてみた。そんなことをしていると自分はこの光景をみて何がしたいんだろう、自分はこの光景を何に利用するんだろうと思うようになった。それを見て「ふーん。」とか「なるほど。」のような感情しかわいてこないのだろうかと思った。たくさんの人が亡くなった町で自分はこんなことしか感じないのだろうかと思った。でも結局眺めていてもほぼ無感情だった。無感情というよりは自分が何を感じているのかわからないといった方が正しいだろう。ただ、それは私が何か感じるべきなんじゃないかという世間一般でいう「正しい」ことに圧迫され、自分の「間違ってる」感情をないものにしようとしていたからかもしれない。
 こういったことは実は日常的に起きている。何かについて判断したり、評価したりするときに私は多くの場合、自分がどう考えているか分からなくなる時がある。今回のツアーで、その出来事は自己犠牲的な世間の「正しさ」とエゴ的な自分の考え方との葛藤の間に起こることであるかもしれないと思った。私は今まで世間的な「正しさ」を自分にとっての「正しい」にしようとしてきた。要するに「いい」人でいたかったのだ。復興支援関係のサークルに入ろうと思ったのもそういう部分が大きい。だが、活動に参加するたびに「正しい」目的と自分の目的の違いを感じていた。私が東北に来ているのは支援をするためでなく、自分のために来ているという事をまざまざと感じさせられたのである。最近になって東北に自分のために来ていると自分の中で認識を持っていたつもりであったが、たぶん、認めたくない気持ちもまだ残っているのだろう。だから、考えるのを途中でやめてしまうのだと思う。常にその矛盾と向き合うことはできないと思うがずっと逃げ続けるのは自分のためによくないのかもしれない。ただ、この考え方についてもまだ自分の中で整理がついていない。
ただ、いろいろなものがわからない中でわかっていることがある。それはこういうもやもやした話を聞いてくれる人がとても大事であるという事だ。東北出会う人、サークルのメンバー、先生方、こういう人たちと自分の中のもやもやしたものについて話すことで自分をいったん整理したり、見直すことができる。今自分の中でわかっている、私が東北に行く理由はまさにそういった話ができるからだと思う。それは自分の東北に関する考え方だけではなく、自分の生き方に対しても大きな影響を持っているのだろう。これからも東北に行ってみたい。

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【2014/12/22 15:05】 | 活動報告
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