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立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
社会学部2年 山本 武

 震災後何度か東北に行ったことがあるが回数を重ねるごとに、倒壊した防波堤や何もない海岸沿いを見ても驚かなくなっていった。今回もほとんどすべての建物が流されてしまった場所を見ても驚かなかった。もちろん普段生活している場所と比べたら全く違う状況だが、驚かない。驚くことがいいことなのかどうかは分からないが、その状況を見て何も感じなくなってしまうのは怖いなと思う。だからと言ってなんて感じるのがいいかわからないし、そもそも感じ方を無理やり変えようとするのは難しいし、それは違うと思う。とにかく、今回は驚かなくなってきたことを今までより、より強く自覚した。
 もう一つ東北に行くたびに感じていたことがある。支援の一環として東北を訪れると、東北の方に「よく来てくれたねー、ありがとう。」と言われることがある。それに対して自分を含めた多くの人が「いやー、ここが楽しいから来てるんですよー。」と答える。すごくよくある会話なのだが、私は両者が本当にそう思っているかどうかは別としても、これを聞くのが苦手だ。これは一つの例であって、私が言おうとしているのは人がお互いに相手をほめちっぎている様子を見たり、経験するのが苦手だということだ。すごくひねくれていると思うが、そう思ってしまう。褒められるのはお互いに心地よいことだ。だから二者の関係は「快―快」な状態ともいえる。でもそれはその両者だけの中で成り立っているもので、もし、はたから見たら褒めあうだけで相手の全体を見ようとしていないというふうに見えるのではないかと思う。そのままだと、相手の浅いところしか見えずに終わってしまう気がする。客観的な面だけで見ていてはいけないと思うが、褒めあうだけの関係はどうしても怖い。しかし、今回の唐桑ツアーではなにか新しいことが発見できた気がした。  
それは、初日に泊まらせていただいた「つなかん」の女将と愛媛県から2か月に1回支援物資を届けに来ている人との会話だった。二人の関係は震災当初からずっと続いていて、女将さんは愛媛の人に支援物資を持ってきてくれたり、がれき撤去を手伝ってくれたことに感謝していた。また、愛媛の人は時間がたっても笑顔で迎えてくれる女将さんに感謝していた。お互いがお互いに感謝していた。しかし、私は今までのような息苦しさを感じることがなかった。なぜかははっきりとは分からないが、私は二人が本音で話しているということを肌で感じ取っていたのではないかと思う。相手の別の部分を見えにくくするための褒めあいではなく、その部分を伝えたくて、伝えたいから話しているというのがはたから見ている私にも伝わったからなのではないか。
すごいなと思ったし、そんな関係の人がいるのはいいなーとも思った。自分にはいないとは言いたくないが、相手がどう思っているかはわからない。傍から見てもお互いがお互いを信用してるなっていうのがわかる、うらやましいです。
その新しい発見のおかげで人間ってそんなに捨てたもんじゃないなとも思えるようになった。


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【2014/09/25 16:49】 | 活動報告
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