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立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
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齊藤さんのお話に耳を傾ける参加者
 草木も青々として、春の訪れを感じられるようになった岩手県陸前高田市の広田半島。海が眺められる、ちょっとした高台に齊藤さんのご自宅はあります。

  齊藤さんは私たちの年齢に近い方で、地元の企業に勤めており、陸前高田の復興計画やまちづくりに意見や関心をお持ちです。今回私たちが訪れた理由は、以前Frontiersメンバーの一人が齊藤さんにお会いした際、彼の今までにない視点の話に、メンバー全員で聞く必要があると感じたからです。

 初めてお会いする方でしたが、齊藤さんは温かくご自宅に迎え入れてくれました。東日本大震災の爪痕はいまだに残っており、壁には津波が到達したことでできる茶色い線が、今でも確認できます。齊藤さんは被災者ということもあり、首都圏で暮らす私たちが知らない、被災地の状況を教えていただきました。

私が特に衝撃を受けた事実は、復興に関して、地元住民と学者の考え方の違いです。例えば商業施設建設に対して、学者は次の津波に備えて一階部分を駐車場に、二階部分を施設にしたほうが良いと提案しました。しかし、この地域には足腰の弱い高齢者が多く住んでいます。地元住民は、いつ来るか分からない津波のために、不便を強いられるのは酷だと主張します。私は、地震・津波に対する危機感を人一倍持っている住民に対して、日常生活に支障が出るほどの備えを講じるのは、やりすぎだと感じます。

また海と共に生きてきた地元住民は、学者が提案する防潮堤(陸前高田では12.5メートル)で海と陸とを分断することに、強い抵抗感があるそうです。海、そしてそれに付随する浜は、自然の恵みを受領する場である一方で、自然のリスクをコミュニティ内において共有する場として、重要な役割を果たしてきました。海は地元住民のアイデンティティの一部です。私は今まで、復興計画に対してなんら疑問も持ちませんでした。しかし今、防潮堤がいたるところで見えるこの地方でお話を聞き、学者はその土地の文化により配慮すべきだと感じます。

配慮すべき点は他にもあります。支援を受ける際、地元住民は「被災者」の線引きに戸惑いがありました。被災地には、家や家族、職場をなくした人もいれば、それらの一部、または全部無事だった人もいます。いったいどこからが「被災者」なのか、果たして自分は「被災者」なのか、地元住民の葛藤はとても大きかったといいます。また同じ「被災者」であるにもかかわらず、支援や物資の量の違いなどで、住民間に溝が生まれるケースもあるそうです。同じ集落でも、被害が大きいために支援や物資を多く受け取る「被災者」は、他の「被災者」よりも多く受け取ることを当たり前と考え、一方で少なく受け取る「被災者」は、そうした考えに抵抗感が生まれ、結果として両者の間に亀裂ができてしまいました。こういった話はテレビではあまり放送されない内容なので、私はこの事実にとても驚きました。

他にも齊藤さんは、震災前の人口を基準にした地元の復興計画に対して、疑問を提唱しています。人口が減った町、つまり税金を払える人が減った町で、前と同じインフラを整備しても維持できるのか。未来をもっと考えるべきだと語りました。


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お話を聞き、被災地の今後を考える参加者
 齊藤さんは大学生の時に、被災者ならではの視点で、被災地のことを調べたいとの思いから、震災で犠牲になった方々の家族に聞き取りを行いました。すると遺族の方々は、「亡くなった夫が帰ってきた」「亡くなった息子は見えなくなっても、いなくはないんだよ」と語りました。最愛の人の死を受け入れているように見える方々が、なぜこのような、一般とはやや異なる「死」の捉え方をするのでしょうか。同じ災害における死という観点から、阪神淡路大震災との関係を考えてみたいと思います。阪神淡路大震災は早朝に発生し、亡くなった方々の死因の多くが、建物の倒壊、家具の転倒に伴う「圧死」でした。これに比べて、東日本大震災では平日の午後に発生し、職場や外出先で津波に遭遇した人々が多くいました。こうした経緯から、東日本大震災の被災地の遺族間では、「もし逃げていたら、私の家族は助かったのではないか」という発想になりやすいそうです。加えて、市街地の嵩上げにより、震災直前まで暮らしていた土地に住めなくなり、愛着ある土地と別れることになりました。家族と土地の二つを喪失した中で、なぜ遺族の方々は、一般とはやや異なる「死」の捉え方をしたのでしょうか。

そこには「オガミサマ」という存在への信仰が関係してきます。「オガミサマ」とは、霊の口寄せや占いなどを行う、神様の力を借りた「巫女」のことを指します。彼女らが行う行為を「神さま遊ばせ」と言います。自然を相手にする漁業のために神頼みを行ったり、また亡くなった人の霊を鎮め、仰せ言を今後の生活の導きにするなど、地元住民にとってはとても重要な存在です。旧暦の小正月(1 月15日)には、公民館などで一年間の吉凶を各家で占う「神さま遊ばせ」が行われてきました。この行事には主に一人ずつ女性の年長者が参加したとされますが、この「小正月」という日は、家事を優先的に行っていた集落の女性たちが、積極的に外出することが許される特別な日でもありました。そこで行われる「神さま遊ばせ」は、集落の中において、女性たちの連携を深める機会でもありました。震災後では、女性の社会進出や参加者の減少、高齢化、集まれる場所の減少などで、集団で行う「神さま遊ばせ」の数は少なくなりましたが、一方で個人が「オガミサマ」に故人の遺志を問う行為は現存しています。ここで、遺族の方が一般とは異なる「死」の捉え方をする二つの理由が明らかになります。まず一つ目に、土地に根付いた「オガミサマ」の信仰により、彼らが死後の世界と現世との距離感が近いと感じているからです。この二つの世界間での繋がりを、齊藤さんは「縦のツナガリ」と定義しました。二つ目に、集落において、定期的に集会を行う文化があり、そこで感情の共有をすることが可能な関係性がつくられていたからです。この関係性を「横のツナガリ」と齊藤さんは呼びました。つまり陸前高田は、この二つのツナガリが交差する特別な場所であり、こうした状況が遺族の「死」の捉え方を変えていると齊藤さんは語りました。

最後に齊藤さんは、「本当の意味での復興とは、悲しみを乗り越えた先にある、被災者のほほえみである」と語りました。私たちが復興といってまず初めに思いつくのは、瓦礫の撤去や家屋の建築などではないでしょうか。しかし齊藤さんは、精神面での復興が重要であると考えています。日常での精神的安寧、あの日のリアリズムを大っぴらに公開できるようになって、初めて復興といえるのではないでしょうか。今までのツアーにはない、被災地と復興への思いを聞くことができました。

(法学部2年 江崎凌矢)

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【2019/06/12 00:00】 | 未分類
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