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立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
       3月9日~12日で予定していました唐桑ツアーは、新型コロナウイルスの蔓延防止のため、立教大学の全学的な方針に沿って、中止をしました。

  お会いする予定だった方々、また新たに出会うはずであった方々との貴重な機会を失ったこと、満9年を迎えた3月11日を遠くから思わなければならなかったことは大変残念なことでした。

  また、予定していた宿泊先、交通関係の皆様方には、今回のツアー中止に伴うキャンセルについてご理解をいただきましたが、最悪の事態を回避しなければならないという事情があったにせよ、多大なるご負担をおかけしてしまったこと、心を痛めております。

  この状況が改善した暁には、あらためて皆さまにお会いできるよう、教員、学生一同、切に願っています。それまでは、皆さまの健康を遠くから祈りつつ、よりよき唐桑ツアーを目指して、準備を進めていきたいと考えています。
(RDY事務局)
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【2020/03/27 00:03】 | 未分類
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Kesennuma_Denshokan

  8月21日、ツアー3日目は、初回参加者を中心に東日本大震災遺構・伝承館を訪れました。ここは、津波により甚大な被害を受けた気仙沼向洋高校旧校舎に、震災の爪痕をうつした写真の展示室や、震災当時の映像を上映するシアター等を設けた「震災伝承館」を加えた施設です。気仙沼向洋高校は震災後、仮設校舎を経て、新校舎を建設し、現在も別の地で教育活動を続けておりますが、旧校舎は震災の記録や教訓を後世に伝える役割を担うこの施設に生まれ変わりました。

  建物に入ると、まず特設展示のコーナーに復元された避難所があり、当時の様子を見ることができました(写真1)。段ボールの仕切りはとても低く、プライベートを守ることは到底できそうにありませんでした。津波の難を逃れても、こうした環境で何十日間も避難生活を余儀なくされたことを考えると、大変な苦労をされたのだと感じました。また、震災翌日に発行された三陸新報の記事も見ることができました。三陸新報は、気仙沼市、南三陸町を中心に発行されている新聞ですが、当時の新聞は混乱の最中であったため、普段の体裁とはほど遠く、A4の紙で「津波特別号」として発行されたものでした。被害状況が簡潔な単語を並べることで淡々と表現される中、最後に大きめの文字で「勇気を出してがんばろう」と書かれているのが印象的でした。このことばが被害に遭われた方々をきっと勇気づけたのだろうと思いました。

Shelter_Imitation
(写真1)当時の避難所の様子を再現したもの

  校舎内の遺構を見る前に、シアターで津波の映像を見ました。それは現実とは信じがたいものでした。まるでCG映像のように、何もかもが黒い波に飲み込まれていく様子に呆然としてしまいました。映像を撮影されている方は、必死に津波の様子を言葉にしようとしていたり、「ここも危ないかもしれない」と危機感を口にしたりしていました。また、その後ろで泣いている子どもの声やパニック状態に陥っている人の声など、様々な音も聞こえ、目で見る映像だけでなく、耳からも当時の状況を捉えることができました。

  シアターから校舎に入るまでの通路には、震災直後の町の様子を映した写真が飾られていました。どの写真も地上の壊滅的な被害の様子を映していましたが、中には空が真っ青に晴れ上がっている写真もあり、そのコントラストに心が傷みました。

  そして、校舎内に入ってみると、瓦礫が当時のまま残されていました(写真2)。震災から八年たって初めて被災地を訪れたため、瓦礫を実際に見るのは初めてで、津波が現実に起こったことなのだと改めて認識させられました。また、訪れた私たちも震災当時は小中学生として学校の校舎内にいたこともあり、学校には必ずあり、自分たちが使っていたのと同じような教科書や椅子がその瓦礫の中に埋もれ、散乱していたのを見ると、日常が簡単に崩されてしまうこと、他人事ではないということを感じました。その一方で、4階まで津波が来たという事実、街が一瞬で飲み込まれていったという事実、瓦礫だけが残ったという事実を表している目の前の光景を受け止めきれないという意見の学生もたくさんいました。

Tsunami_Damage_1
(写真2)散乱した教科書やプリント

Tsunami_Damage_2
(写真3)校舎3階に乗り上げた車

  ニュースでしか見たことがなく、そのときに見て感じた地震や津波に対する「こわいな」という感想さえも、8年経って頭の片隅に追いやっていた東京の学生に、伝承館は「東日本大震災」というものを、そして、その怖ろしさを、改めて認識させるものでした。伝承館の来場者数は2019年3月の開館から8月15日で5万人を突破しました。施設の方の話によると、県外から来てくださる方が大変多いそうです。「東日本大震災」を忘れることのないように、一度は訪れてみてほしい場所だと思います。

(文学科日本文学専修1年 西𦚰舞子)




【2020/03/26 01:32】 | 未分類
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tunakan201908

  「はい!もしもし~」


  唐桑御殿つなかんの女将、菅野一代さんによるおもてなしは、予約の電話をかけたときから始まっていました。ツアー初日(8月19日)に宿泊する民宿、つなかんの予約担当だった私が名乗ると、「あら、立教大学さんねー、いつもどうも~」と明るい声で歓迎してくれました。私は今回、ツアーに参加するのが初めてだったので、この声を聞いたときから、「はやく一代さんに会ってみたいな~」と、ツアーに行くのが待ち遠しくなりました。

  そしてツアー初日、私たちがつなかんを訪れると、一代さんは「おかえり~」と言いながら、電話で聞いたときと変わらない、元気で明るく温もりのある声で私たちを迎えてくれました。「いらっしゃい」でも「遠いところわざわざ・・・」でもなく「おかえり」。自分の家以外で、しかも初めて訪れた場所で、私を「おかえり」と言って迎え入れてくれる場所に出会ったのは初めてでした。そしてそこに、「ただいま~」と言って入っていく先輩方を見て、ここは「誰でも帰れる家」のような存在なのだと感じました。

  夕食のおもてなしは、これでもか!というほど豪華でした。海鮮丼、マグロのホホ肉の煮付け、グラタン、カキフライ、冷や奴、たくあん、そして「今日は(いつも来てくれる)立教大学さんが来るから特別~」と言って用意してくれたフカヒレスープ・・・。どれも本当においしくてお腹いっぱいになりました。デザートのスイカが運ばれてくると、一代さんが「甘くなる魔法~♪」と言いながら塩をふりにきました。こんなさりげないやりとりもが、私たちを笑顔にしてくれました。気づくとお腹だけでなく、胸もいっぱいになっていました。
tunakan's_supper201908

  食事が終わり、片付けを手伝っていたときに「献立はどうやって決めているんですか?」と聞くと、「全部一代さんが決めるんだよ。すごいこだわるんだから~」と一代さんとともにつなかんを切り盛りするふみちゃんこと佐々木文子さんが教えてくれました。そのほかにも、「今日は誰の話を聞いてきたの?」、「明日はどこに行くの?」、「この夏休みはこんなお客さんが来て・・・」など、初めて会ったとは思えないくらいの親しさでたくさん話をしてくれました。

  夜のプログラム(この日の夜は、立教大学出身で唐桑に移住された、まるオフィスの根岸えまさん、若林詩織さんをつなかんにお呼びして、お話を伺いました。)が終わると、みんなで集まり、一代さんとふみちゃんを囲んでざっくばらんにおしゃべりをしました。話は身近なことやたわいもないことで盛り上がりとても楽しい時間を過ごしました。お二人がそこにいるだけで、場の雰囲気が明るくなり、私たちも自然と笑顔になっていました。

  翌朝、一代さんとふみちゃんは早くから食事の準備をしてくれていました。「おはようございます」と声をかけると、お二人とも昨日夜遅くまで話していたことも忘れるくらい元気な声で「おはよう!」と返してくました。朝食も大変豪華なものでした。ごはん、味噌汁、サラダ、納豆、切り干し大根、鮭、漬物、卵、ヨーグルト・・・。朝からこんなに食べきれない!というくらい出てきてびっくりしましたが、どれもおいしく、しっかり完食しました。

  食事が終わり、昨日の振り返りのためにみんなで居間に集まりました。みんなから盛んに意見が飛び交い、一人一人が自分の考えを熱く語っていてとても有意義な時間でした。

  その光景を見ていてか、あるいはそれは関係なかったのか、わからないですが、私たちの振り返りが一通り終わった後、一代さんが「私も少しだけ話してもいい?」と言って私たちのもとにやってきました。「そんな上手に話せないんだけど」と前置きしつつも、そこで一代さんが語ってくださった言葉というのは、他の誰にも語れない、私たち学生の心に大変響くものでした。

Ichiyo's_lectuer201908

  「いい?人生、覚悟を持って生きなきゃダメだよ。人生何が起こるかわからないからね。今を一生懸命生きること。それが一番大切なことだよ。過去のことを振り返っても仕方がない。かといって、将来のことをどうしようかと考えてもダメ。人間いつ死ぬかわからないんだから、今この瞬間を精一杯生きること。」

  一代さんは、2010年に発生したチリ地震による津波の影響で、それまで営んでいた牡蠣の養殖業を停止せざるを得なくなりました。その後、やっとの思いで事業を立て直した矢先に東日本大震災が発生し、再び休業を余儀なくされました。そんなとき、ボランティアで訪れた学生に、「雨露をしのぐために軒先に泊めて欲しい」と頼まれ、寝泊まりするところを提供しました。それからちょっとした食事も提供するようになったことがきっかけで、学生が「いつでもまた帰って来られるように」と2012年自宅を改修して民宿を始めました。その後、牡蠣の養殖業も再開し、この唐桑ツアーでも毎年つなかんを訪れるようになりました。しかし、2017年3月、海難事故により一代さんは旦那様、長女、三女の旦那様を亡くされました。その後は民宿も休業を余儀なくされましたが、なんとか再開を果たし、今回のツアー代表の代が再開後初めてつなかんを訪れ、今も交流を続けています。

  「過去を振り返っても仕方がない」とおっしゃった一代さんについて、このことを書くべきか、迷いはありましたが、このことばの重みを私たちはしっかり受け止めて生きていかなければならないと強く感じ書かせていただきました。私たち学生は人生経験が浅いので、小さなことでも後悔をしがちなうえ、将来に対する様々な不安を抱きがちです。そんな私たちにとって「今を生きる」、「覚悟を持って生きる」という一代さんが発したことばは、唯一無二の説得力を持って胸に強く響いたのでした。

  また、一代さんはこんなこともおっしゃっていました。

  「良い人になって、良い気持ち、良い魂を持って生きていけ」

  自分を人と比べ、自分に引け目を感じたり、人に対して悪い気持ちを持ったりすると、表情も悪くなるし、気持ちもすさんでいきます。一代さんは、人を妬んだり拒んだりすることはつらいことであり、きれいな気持ちで、自分の都合の良いように考えて生きた方が楽なのだという意味でこのことばを私たちに言ってくれました。一代さんはこれまでにきっと、私たちには計り知れないほど多くの困難を乗り越えてきたのだと思いますが、それらの困難を、他人や環境のせいにして妬んだり拒んだりするのではなく、自分にとって良いように考えることで乗り越えてきたのだと思います。だからこそ一代さんはつなかんに訪れる人を誰一人として拒むことなく「おかえり」とやさしく迎え入れ、笑顔で話をしてくれます。一代さんのこのことばは私に、将来に向かっていく勇気をくれるとともに、良い魂を持って生きていくという生き方を教えてくれました。きっと励まされたのは私だけではないはずです。予定にはなかった時間ではありましたが、学生全員が一代さんの話に聞き入ったあの30分は大変貴重な時間でした。

  帰る際は一代さんだけでなく、ふみちゃんも外まで見送りに来てくださいました。さらに、私たちの姿が見えなくなるまで大漁旗を振って見送ってくれました。私たちもつなかんが見えなくなるまで車の中から手を振りました。

  私たちの心の中はしばらく、たわいもない会話を通して触れたお二人の温もり、つなかんにいるみんなのあふれる笑顔で満たされていました。このときツアーで毎回つなかんを訪れている理由がわかった気がしました。そして、次のツアーでもまた訪れるのだろうという確信もありました。それは、つなかんがただ単に泊まる場所ではなく、一代さんの人生そのもののように感じられるからです。一代さんやふみちゃんに会いたくて、私たちはつなかんに帰るのだと思います。

  電話から始まっていたつなかんのおもてなし。ツアーから時間が経った今もまだ、私はつなかんにもてなされているように感じます。

(文学科日本文学専攻1年 西𦚰舞子)

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Ichiyo's_smile


【2020/03/26 00:55】 | 未分類
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