FC2ブログ
立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

唐桑ツアー報告書
社会学部現代文化学科1年
柴田 麻友

 今回の唐桑ツアーのコンセプトは、「ボランティアらしくないからできること」である。支援をしに行くのではなく、「会いに行く」。東日本大震災からの五年間、たくさんの人と出会い交流を重ねてきたこのツアーでかけられた言葉、「来てくれるだけでいい」。その言葉から今回の唐桑ツアーのコンセプトが導かれた。
今回初めて唐桑ツアーに参加し、実際に被災地を訪ねてみて、「来てくれるだけでいい」、「また会いに来てほしい」と現地の人と会うたびに明るく声をかけられて私はとても驚いた。被災地に行くまでは、東日本大震災から五年もたったとはいえ、当時の状況を現地の人に質問するのには少し身構えた。当時の状況を話すことでつらい記憶を思い出させてしまうだろうと、後ろ向きな考えがあったからだ。しかし、実際は違った。対面でお話するうちに、東日本大震災に対し私が想像していた以上のこと、新しい知見がたくさん得られた。現地の人に会いに行き、ただ、会話を交わす。このような活動もわるくないなと感じた。
 ツアー二日目、八月十七日は津波を実際に経験した方とお話ができた。昼頃に岩手県陸前高田市を訪ねて、米沢祐一さんに会いに行った。米沢さんが当時避難した場所の米沢ビルで、震災が起こる前から救助されるまでを時系列に沿って、まるで私たちがそこにいるかのように語ってくれた。地震発生日は誰にでもある、なにげない日常であったこと。当時は津波という言葉が身近ではなかったこと。津波の危険性をぎりぎりまで、どこか他人事のように思っていたこと。目の前で家が流され波が押し寄せてくることへの恐怖。体験者の口から聞くと、やはり衝撃的なものであった。米沢さんは毎回、唐桑ツアーでこの場所を訪れるたびに、このお話をしてくださるそうだ。話すということは当時の状況を思い出さなければならなく、つらい思いをしてしまうのではないだろうか。しかし、米沢さんは震災後自ら語る道を選んだという。今では、話すことが嬉しいのだという。なぜだろうか。それは、当時の状況を話すことで、誰かに体験したことを伝えることができるし、なにより自分自身もその体験を忘れることなく覚えていられるからだそうだ。東日本大震災から五年がたち、未だにあたりは土まみれで工事現場ばかりだが、それでも着実に復興がすすみ震災の面影が消えていく。米沢さんは最後に私たちに、今このときの風景を覚えていてほしい、そして一年後、いや三年後でもいいからまた来てこの風景を思い出してほしい、と声をかけた。
私は家に帰ったら、できるだけ多くの写真を友人に見せたい、またその写真について話したいと思った。私ができることは、今回の唐桑ツアーで見たこと、知ったことをできるだけ多く、周りにいる人に伝えていくということだろう。

スポンサーサイト

【2017/03/26 19:49】 | 活動報告
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。