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立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
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8月唐桑ツアー報告書

社会学科3年 山本武

今回の唐桑ツアーはこれまでより自分の気持ちを考えながら参加することができた。運営側としての立場に少し慣れたからかもしれない。まずそこが個人的にとてもよかった。この報告書では私が東北で感じたことと唐桑ツアーの意味のようなものについて述べたいと思う。
最初に感想のほうを。これまでより多くの人と会話したツアーだったように思う。会話をしていて先入観やイメージがとっぱわれていくと相手がいろいろな可能性を持った人として登場する。私は相手が捉えきれなくなると不安なので何とかしてカテゴリー化をしようとする。だから私は2日目の夜にあった唐桑の現地の若者を中心とした団体、からくわ丸さんとの交流にはだいぶ緊張していた。私はからくわ丸の人に対して陽気で目的が定まっている人たちというイメージを持っていた。実際にからくわ丸の人と話をしていて自分の思ってもみなかった考えや予想とは違う答えが返ってきたりして、不安になったりもした。(無論、感じていたのは不安のみではない。)
しかし、その不安がとても重要なものだと感じた。そもそも人と関わるということは不安を伴うことではないだろうか。どれだけ親しい人でも何を考えているかわからなくなったり行動が読めなくてそのわからなさが不安になったりする。そのわからなさは、相手を理解したり知ろうとしたりすることによって生じるものであるようにも思う。相手をカテゴリー化をしておいて、その範疇から出ないように相手と関わっていればその不安は生じにくいだろう。普段、先入観やイメージで人を捉えて、相手を単純化しようとしていることに気づかされる。そういう意味でも東北に行って話をすることは私にとって重要だ。
コンセプトの点から言えば唐桑ツアーは私の生き方、復興支援の考え方、東北の人とのかかわり方という点につながっていると言えるだろう。個々が感じることに重きを置く唐桑ツアーでは、参加者全員に共通で具体的で明確な目的を置くことができない。私は自分の考えを明確にもてていないし、持っていたとしてもいとも簡単に壊されてしまう。そのため、「ボランティア」としてある意味で相手から逃げることができない状況に置かれ、目の前にいる人そのもの(「被支援者」としてではなく)、風景そのもの(「被災地」としてではなく)を見ようとした時、私の生き方、復興支援、目の前の人とのかかわり方について考えさせられるのだ。そこには大きな不安とわからなさが存在するが、とても重要なことと感じている。
今回で5回目の参加となったこのツアー、Frontiersの活動としての唐桑ツアーを考えてみた。達成したかどうかわかりにくいコンセプトで(少なくとも体裁は)「ボランティア」という立場で行くことによっていろいろなところに目を向けることができる。いろいろな可能性を開いておくことで「支援者」、「被支援者」というカテゴリーから漏れ出すよくわからないもの、簡単に言葉にすることができないことを感じることができるかもしれない。そのよくわからないものを感じることができる可能性を秘めているのが唐桑ツアーの存在意義なのかもしれない。それが「支援者」「被支援者」の関係のみにとどまったり、逆に震災のことを全く考えずにいたりすると、よくわからないものは漏れ出てこずにすっきりとしたものになるかもしれない。その間で揺れ動くことでFrontiersの活動方針でもある「復興支援を考え続ける」ことができるのではないだろうか。
その「わからなさ」は少なくとも私にはとても大きな影響を与え、これからも何らかの形で私と東北を結びつけるだろう。

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【2015/11/24 17:10】 | 活動報告
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