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立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
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東北を身近に~震災から3年を経て~

社会学部3年 大橋啓吾
 
私は今回の唐桑ツアーを通して様々なことを学びました。震災が起きた2011年3月11日から被災地を訪れていなかったため、なんとなく自分の中では今更感を持っていました。しかし、実際にその土地を訪れてみると、そこには自分の今までの考えを覆してくれるような光景や出会いがありました。今回のツアーは今まで自分がとらわれてきたものはただの自分の予想であり、現実を見ることがどういうことなのかを教えてくれる良い機会になりました。東日本大震災から3年という期間は私の中での被災地という意識を薄れさせ、日々起きている様々な事件や事故が記憶に上書きされるのに十分な期間でした。違う場所にいながらも情報を共有できる現代は、様々な不幸なニュースが飛び交っています。そうした中で、未曽有の大災害といわれる東日本大震災までもが、震災の起きたその日以外は取り上げられない状況になってきたのが現実です。しかし、今回の唐桑ツアーを経て、震災が今このときも続いているということを知りました。
 私はゼミで唐桑を訪れるときに参加できなかったため、今回の唐桑ツアーに参加しました。私の目的はインタビューであり、そのことに気を割いていたため、それ以外のことはあまり準備をせずに被災地を訪れました。そもそも、メディアから情報を得ていたため、ある程度の心構えは持って被災地を訪れたつもりでした。しかし、そうした心構えは簡単に覆されてしまいました。まず、気仙沼の漁港を訪れた私たちの目の前に広がっていたのは、今もなお残り続けている津波の傷跡でした。海の近辺の土地には家がほとんどなく、家の基礎だけがむき出しの状態で点在していました。そこで私は、震災から「もう」3年なのではなく「まだ」3年しか経っていないのだと感じました。気仙沼市街を見渡すことのできる安波山という山に登ってみると、そこからは多くの震災の傷跡が見て取れました。観光地として有名な気仙沼市街でさえもあまり復興していない現状は、私に多くの衝撃とここにきたことの意味を与えてくれました。気仙沼市の後に訪れた岩手県の陸前高田も震災前の光景とは全く違う光景が広がっていました。陸前高田でなにより驚いたのが、道の駅を訪れたときでした。道の駅は、観光者や地元の人で賑わう活気のある場所というイメージを私は持っていたのですが、目の前に現れた道の駅は津波ですべてを流されてしまい廃墟と化した道の駅でした。そこには本来あるべき姿の道の駅は見て取れず、送られてきた千羽鶴や震災についてのインフォメーションコーナーなど、震災を象徴する建物のひとつとして存在していました。今まで見てきた映像や写真でははかり知ることのできない震災の恐ろしさを、そうした実際の姿から初めて知ることができたと私は感じています。
 私たちがツアーの間に泊まった宿のある唐桑では、多くの人に触れ、お話をする機会を得ることができました。まず、私たちが宿泊した「つなかん」という宿では、Iさんをはじめとする多くの魅力的な人たちが出迎えてくださいました。Iさんは震災でカキの養殖所など多くの財産を失い、様々なものを抱えているにもかかわらず、私たちよりもパワフルで明るい人でした。そして、なにより驚いたのが、Iさんの「震災ありがとう」という言葉でした。未曾有の大災害を経験し、様々なものを流され、失ってしまったにもかかわらず、感謝を言うことなど、自分には絶対にできないと思います。震災から大切なことを学ぶことができたというIさんのお話から、私も多くのことを学び、感じることができました。唐桑の人たちは、私たちに震災の多くを教えてくれると同時に、首都圏に住んでいてはあまり感じることのできないような人々のつながりの大切さや優しさを教えてくれました。私のインタビューのアポを取ってくださったBさんも、震災から多くのものを私たちのような学生に学び取ってほしいといってくださり、震災のことについてお話をしてくださいました。仮設に住み、いまだに震災の被害を受けている中で、私たちのような学生に貴重な話をしてくださり、唐桑の人々とのかけはしになってくれているBさんは本当にすごい人だと感じました。それと同時に、学生の訪れることのできる「カエル塾」をやっているのは自分のためでもあるのかもしれないというBさんの言葉から、仮設住宅の孤独感や寂しさなどを感じました。
 私が唐桑を訪れる理由となったインタビューでは、Hさん夫妻にお話を伺うことができました。夫のH・Tさんは、いち早く防災集団移転で高台に移り住むことを決めた人で、とても優秀な方でした。初め緊張していた私にも、緊張することはないといってくださり、様々なことを教えてくれました。震災当時は唐桑から離れようと思ったことや地域の人々のつながりが自分を動かす原動力になったことなどHさん自身の震災経験をお話ししてくださいました。そうしたインタビューの中、「震災前も後も変わらない。昔から人の面倒を見るのが好きだったし、それが自分のためでもある。」という言葉を聞き、移転の音頭を取り、唐桑町舞根の人々をまとめたHさんの人柄の良さに感銘を受けました。私はこのインタビューをすることができて本当に幸福だったと感じています。東京にいては知ることのできないことや感じることのできないことなど、私の考えを大きく動かしてくれるような経験をすることができました。それと同時に、今まで被災地を訪れることに不安や今更感を持っていた自分が馬鹿らしく思えました。
 今回の唐桑ツアーは私にとって大きな意味を持つものになったと感じています。今までメディアを通してしか見ることのできなかったものやそこにいる人々の声など、不純物を交えないまたはきれいすぎないものの大切さを学ぶことができました。震災からまだ3年しか経っていないという現状を様々な人が知り、観光でもなんでも被災地を訪れる人が増えてくれれば思います。そのためにも私たちがそこにある様々な魅力を伝えていくべきなのだと今回のツアーを通して感じることができました。

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【2014/12/22 15:03】 | 活動報告
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