立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
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唐桑ツアー報告書
文学部日本文学専修1年 
仲住若奈

 「また来たい」、このツアーを通して私が一番強く感じたことである。2011年3月11日から5年がたった。当時14歳だった私ができることといえばメディアを通じて知ることや学校で行われる募金活動に参加することであった。今回自らこの唐桑ツアーに行きたいと思い、行動できたことだけでも自分は成長したのではないかと思う。しかしこのツアーに参加したことでこれから私がやるべきことを発見した。
 正直、現地に行く前はどのくらい復興しているのだろうかと考えることが多かった。震災が起きてから復興という言葉が世の中に飛び交い5年という歳月は被災地にどのように影響を与えているのかと考えていた。新しく建物は建っているのだろうか、そのように想像をしつつ私が実際に目にしたものは私の予想をはるかに上回るものだった。
 初日、気仙沼駅から陸前高田へと向かう途中の道は見渡す限り土で私は単純になぜ土ばかりなのだろうと考えていた。津波の被害を受けたということは全く考えていなかった。しかし、米沢さんのお話しを伺うと瞬時に理解することができた。米沢商店があった場所で真横には土砂を運ぶトラックが行き交う中、当時のお話を伺い実際に米沢商店の屋上まで登らせていただいた。震災前後の街並みの写真を見ると体全身に鳥肌が立った。私たちが立っていたあたりは建物が一切なく、町が存在していたとは到底想像することはできなかった。しかしところどころに歩道が残っているのを見て現実に起こったことなのだと実感した。当時米沢さんが避難したという屋上にも登ったが普段私たちのひざ下までしかないような海の波が10m以上にもなって襲ってくるということに驚いたとともに想像するととても恐ろしかった。東日本大震災は津波の被害が深刻だったということは知っていたが、どれほどの津波だったかを自分の目で見て感じた。また、米沢さんはこれから陸前高田に建設されるという商業施設についても話されていたが話をしている米沢さんからはこれから新たに町が作られていくのを待ちわびている様子が伺えた。「何年後でも良いからまた陸前高田に来てほしい」と最後におっしゃっていたが、3月11日を忘れないためにも、また未来に向かって進んでいることを確かめるためにもまた米沢さんのお話を聞きに陸前高田を訪れたいと強く感じた。
 そして私の周りには被災地に行ったことがないという人も多くいる。私は今回唐桑ツアーに参加できたことはとても貴重な経験だと思う。そして再びこの地を訪れたいと思った。今回は初めて参加し多くの人に教えてもらうことがたくさんあった。この経験を自分の中で完結させてしまうのではなく、次は自ら伝える側の立場になることが必要だと思う。ツアーの中で「発信」という言葉を何度も聞いた。東京にいる私たちは現地のために直接目に見える形でボランティアをするのは難しい。唐桑ツアーで見て感じたことを自分の学びの中に取り入れさらに成長すること、それが結果的に東北のために役立つことができたら良いと思う。さらに周りの人々に発信する、これが被災地に行った人の一つの役目であると感じた。初めは連れていってもらう側の人が次行くときには新しい人を連れていく側となる。この連鎖を広げていき東京と東北をつなげる架け橋のようになることができるように私はこれから発信し続けていきたいと思う。唐桑ツアーでは出会った多くの人々の温かさに触れることができ、またおいでとおっしゃっていた。次に行くときはまた感じ方が変わり考えることも多くなるだろう。「また行きたい」という気持ちを忘れずに今、自分ができることを少しずつしていきたいと思う。
 
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【2016/04/19 15:52】 | 活動報告
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唐桑ツアー報告書、被災地への思い
経済学部経済学科1年
船田駿介

 僕が東日本大震災と初めて関わったのは高校2年の夏。あの時僕は、被災した中学生が、僕ら東京の学生となんら変わらない様子だったのを目の当たりにし、何も考えずにいた2年半が情けなく感じた。そして、とりあえず自分ができるだけ早く被災地を訪れることができればいいなと思った。そして、大学へ入学し、11月初旬、初めて被災地(大槌町、釜石市)を訪れた。そのときの感想は、何もない更地があるのはある程度予想していたし、メディアで見てきた被災地の姿とギャップをあまり感じず、「まあこんなもんだろうな」という思いが心のどこかにあった。
 そして震災から丸5年、唐桑ツアーを迎えた。唐桑ツアー自体が、世間一般で言われるようなボランティアじゃないっていうのはわかっていたし、たくさんの面白い方々に会えるのはわかっていたから、「その場(現地)の雰囲気に身を任せ、吸収できる話は真剣に聞き、被災者のニーズ調査というFrontiersの目的を忘れないで常に気にしておくというのを心にとめておけば、何か自分にとっていいことが起こるだろう」、そう思ってツアーに臨んだ。結果、僕はこの唐桑ツアーに行って本当によかったと思う。
 一つの理由は、震災発生から現在までにさまざまなメディアが自分の頭の中に作りあげたイメージを、破壊することができたからだ。それを破壊してくれた米沢さんに出会えたことは本当に良かったと思う。米沢さんの震災当時の再現と津波の動画で、僕の中の震災のイメージは180度変わった。米沢さんが見せてくれた動画は、一人大海原に放り出されて、誰も助けにきてくれないという情景を連想させた。今までテレビやネット越しに見てきた動画は必ず高台にあり、何か手前に目に入るものがあった。米沢さんの撮った動画にはそれが一切無かった。それが無いのは本当に恐怖でしかなかった。この動画を見ていなければ、被災地への関心は徐々に消え、ただ自分はいい人であるという妄想を膨らまし、それに気づかず被災地を訪れるだけの偽善者になっていたかもしれない。それくらい、米沢さんとの出会いは、自分の中の被災地に対する思いを変えたと思う。
 もう一つのツアーに行って良かったと思えた理由は、自分がこれからできること、したいことが見つかったからだ。今回のツアーの目的の一つだった現地の方のニーズ調査の結果は、東京の学生が現地で「楽しい」と感じることが、被災者の方々が求めているものということでほとんど共通していた。支援認定を受けたりしているのに、「楽しい」だけでいいの?というのにFrontiersは今まで躓いてきたと思う。でも、「楽しい」でいいと思う。だって、それが現地の方々のニーズなのだから。僕にとって「楽しい」と感じた瞬間は、やっぱり東北というフィールドを肌で感じながらいろんなことを知っていく時、陸前高田を自転車で走っている時だった。震災から5年たった3月11日の陸前高田の空は透き通っていた。そこを走っている時、「ここにこんなものがあるんだ。」と地図と照らし合わせるのが、純粋に楽しかった。個人的に感じていることだが、Frontiersメンバーの「楽しい」とは、現地の人と仲良くなる、そういう「楽しい」という意味合いが強いと思う。もちろん「楽しい」の形は人それぞれだ。だから、それを続けていくのは素晴らしいし、僕もそういう風な「楽しい」が続けばと思う。でも、僕的にはそこに執着したくない。だから、ここってこだわらず、もっと別の場所も見て、自分ができる限りたくさんの人に出会って、たくさんのことを知って、まだ知らない人に伝えたい。まだ知らない人が、その人にとっての「楽しい」の形を見つけることができれば、なおさらいい。そういった東北との関わり方が僕にとっての「楽しい」の形の究極であり、これから目指すべきものであると感じている。でもそれは理想だから、まずは次のツアーで新しい人と出会ってみたいし、今までFrontiersがお世話になってきた方々との関係性を深めるということから始めたいと思う。初めて、自分個人の東北に対する思いを持てた点で、唐桑ツアーに行けて、本当によかったと感じた。
 今まで書き記したように、初めての唐桑ツアーは、団体としての東北への思いというより、個人としての東北への思いのツアーだった気がする。だけど、個人の思いをこうやって文字に表すことができたので、これを忘れずに次の唐桑ツアーに活かしていきたい。
 高校時代から被災地に訪れたいというぼんやりとした思いが、この唐桑ツアーを経験することによって、自分がこれからしたいことを見つけることができ、少しは形になった気がする。欲を言えば、もっと早くに被災地に関心を向けていたかった。でも、僕自身、時間が経過してから関心を持つようになったので、まだまだ僕のようにこれから関心を持ってくれる人はたくさんいるはずだ。その人のためになるように東北との関わりを続けたいし、そこだけにとどまらせたくない。


【2016/04/19 15:51】 | 活動報告
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唐桑ツアー報告書
異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科1年 
岩邊夏帆

 東日本大震災が起こったとき、私は中学二年生でした。静岡県出身で幼いころから「いつか大きな地震が起きる」、「ここまで津波が来るだろう」とよく言われていた私は津波の映像を見ながらどこか他人事には思えず、しかし同時にそれが現実に起きているとは信じられなかった。それから五年間、被災地のためになにかしようと行動することなく過ごしてきた。その間、同じ日本国内で起こったことであるのに、どこか遠いところで起こったことのように感じていた。しかし、今回唐桑ツアーに参加し、被災地を訪ねたことで、震災は実際に起こったのだ、そこには街があり、人が暮らしていたのだと実感した。それは当たり前のことだが、私にとっては大きな衝撃であり、同じような衝撃をより多くの人に感じてほしいと思った。
 ツアー1日目は岩手県陸前高田市を訪ね、米沢祐一さんのお話を伺った。米沢さんは地震が起こる前から救助されるまでの経験を時系列に沿って、米沢さんが避難した米沢ビルで、話してくださった。地震発生前には幸せな日常があったこと、津波が来るとは思いもよらなかったこと、津波によって町全体が海と化したこと、米沢さんの語ったすべてが衝撃的だった。米沢ビルの屋上は風が強く、凍えるような寒さで、津波が町を襲ってから翌日救助されるまで、米沢さんが一人そこで過ごしたときの状況がどんなに厳しかったのかわかった。話をする前とした後で、米沢さんは「今日聞いたこと、見たことをふと思い出したときでいいから、家族や友人、恋人に伝えてほしい」「半年後、三年後、五年後の陸前高田を見に来てほしい」と言っていた。その言葉で2日目以降の私の唐桑ツアーへの取り組み方が変わった。初めは現地で自分たちにできることは何なのか探る目的を持って行ったが、今回ツアーで見たこと知ったことをできるだけ多く、東京や地元の友人に伝えたい、たくさん写真を撮って帰りたい、それが東京に本拠地を持つ私たちにできることではないかと思うようになった。
 2日目には、陸前高田市の震災遺構を巡り、一本松に行った後、気仙沼市の安波山で地震発生時刻を迎えた。この日は誰かに話を聞く機会は少なかった。しかし、3月11日を陸前高田と気仙沼で過ごせたことはとても価値あることのように感じた。ついこの間まで遠いどこかで起こったことのように考えていたのに、今私はその土地にいるのだと意識し、安波山から見下ろせる、静かな町を地震と津波が襲ったのだと考えると不思議な感覚がした。一つ、2日目に驚いたことがあった。唐桑ツアーに参加する前、5年間なにもしなかった、今回はじめて東北を訪れる私が、3月11日をその地で迎えていいのだろうか、受け入れてもらえるのだろうかと不安に思っていた。しかし、当日、意外にも自然に安波山で黙とうをし、陸前高田市の追悼式会場で献花をさせてもらえた。不安に思っていた具体的な理由はないが、そのことにとても驚き、それと同時に、再度なにか自分にできることをしたい、考えたいと思った。
 3日目には7月の出張カエル塾でもお話を伺った馬場国昭さんにお会いした。馬場さんとの会話の中で、唐桑ツアーの意義について考えることができた。唐桑ツアーはほかのボランティア活動とは異なる点が多い。今回初めて参加する私にとってそれが正しいのかどうかわからなかった。ツアー3日目には来てよかった、また来たいという感想を持っていた。しかし、それはツアー参加者としての感想であり、現地の方々がどう思っているかは見当もつかなかった。馬場さんは私たちに訪れた学生たちの笑顔について話してくださった。それによって現地に来て何かをすることではなく、現地に来て現地の方と交流する重要性を実感した。先輩たちが続けてきた唐桑ツアーの価値を知ることができた。
 2016年3月に東北に訪れたことによって、私は自分の東北とのかかわり方について考えさせられた。今回のツアーでは、第一にツアーで自分たちが得たものをより多くの人に伝えたい、同じ経験をしてもらいたいと感じた。それが私にできる価値のあることだと思う。また、必ず来年度も東北に行きたいと強く思った。変わっていく様子を見てみたいし、先輩たちのようなつながりを築いていきたい。


【2016/04/19 15:49】 | 活動報告
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唐桑ツアー報告書
社会学部現代文化学科1年 
珠村 智

 私は唐桑ツアーに初めて参加したことで、現地の人やボランティアで来た人たちの話を聞き、東日本大震災について新しい知見を得られたと考えています。
 1日目、唐桑ツアーに初めて参加した学生は米沢祐一さんを伺い、地震と津波の体験を実際の現場で聞かせていただきました。米沢さんのお話は以前テレビでも見聞きしたことがありました。けれど、米沢さんの口から出る言葉の一つ一つを聞くと、テレビでは絶対に伝わらないことがあると実感しました。米沢さんの話す間や、表情といったものを私の言葉で表すことはできませんが、そうしたものを受け取ることができ、震災の恐ろしさが深く胸に刻まれました。テレビや新聞では、何メートルの津波が来た、といった数値の情報を提示します。しかしそのスケール感を知ることができるのは、現地のほかないと知ることになりました。
 唐桑ツアーの2日目、3月11日は奇跡の一本松や安波山をめぐりました。私は唐桑ツアーとは別に、東北を個人的に旅行したことがあり、奇跡の一本松に行くのは2度目でした。一本松で思ったことを正直に述べるのならば、私はこの時、ガッカリとしたのです。一本松は震災のシンボルでしかなく、それ以上のものではないと感じました。また、現地にいる人々の様子を記録するため、携帯電話で写真を撮る自分は、不謹慎な観光客のようでもありました。ここで写真を撮るだけでは、何も意味がないと感じ、自分にできることを深く考えようと思うきっかけになりました。
 3月11日の2時46分、地震が発生した時刻は気仙沼の安波山で迎えました。そこから見える海は深い青色をしており、津波が起きたとは思えないほど穏やかな情景でした。そこで1分間の黙とうをささげたとき、私の中に込み上げてきた感情は、「また来たい」というものでした。東北で多くの人、物が失われたという事実を再認識し、ここに再び来たら、何が変わっているのだろう、という一種の期待と、自分もその中に加わりたいという思いが強まった気がします。
 3日目は馬場国昭さんのお話を聞き、その後福祉の里C棟を訪れました。馬場さんのお話は昨年7月にFrontiersが開いた講演会「出張カエル塾」で一度聞いていました。しかしいざカエル塾に行ったとき、そこは全く違うものだと感じました。まるで実家に帰ってきたかのような安心感。いや、カエル塾には一度も行ったことはないのに、自分の住んでいる家と同じように居心地がよかったのです。それはきっと、馬場さんの人柄も影響しているのでしょう。馬場さんは今まで会ったことのあるどんな人とも異なる人物のように思います。偉大で、でもなぜか親近感の湧く存在。純粋に会って話を聞きたいと思わせる人物。この時Frontiersの人たちが唐桑を好きになる理由が完全に分かりました。
 福祉の里C棟では先生を含め全員が和やかな雰囲気でお話をしていました。と、同時にテレビで何度も見たことのある仮設住宅というものの実態を垣間見ることができました。仮設は狭く、そして寒い。にもかかわらず、そこにいる人たちはアットホームで暖かい。多くのものが失われた震災を経て、改めて人とのつながりの重要さを知る場でした。唐桑ツアーがなければ出会うことがなかった人たちとのつながりを感じ、この唐桑ツアーを終えました。
 唐桑ツアーに参加することで、復興というものについて強く感じることがありました。自分も一緒に復興に携わっていきたい。それも、被災者と支援者といった堅苦しい上下関係ではなく、共に、楽しみながら新しいものを創り上げていく。そういった復興の形があってもいいと私は考えるようになりました。今、東京と東北のつながりはどれほどあるのでしょうか。今回出会った多くの方が口にしていた『東北に来るだけでもいい』という思い。この言葉は東北とのつながりが何よりも重要だという意味だと思います。
 このような素晴らしい機会を与えてくれたFrontiersメンバーや社会学部の方々、そして協力してくださった東北の皆様に感謝しています。こうしたイベントがこれからも行われ、東北の素晴らしさと震災の教訓が伝わっていくことを望みます。


【2016/04/19 15:48】 | 活動報告
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唐桑ツアー報告書
社会学部メディア社会学科2年 
徐劼劼

 今回は私の10回目の東北への旅、3回目の唐桑ツアー。
 あれから5年。とても長いような気もするが、あっという間だった気もする。今回の唐桑ツアーは現地がどうなっているかをもう一度自分の目で確認したが、それより、自分のこの震災と関わっている5年間の時間を振り返るきっかけになった。
 今の大学1年生の人はその時中学2年生だった。震災の年に産まれた子も小学生になる。その時日本に来た1が月も経ってなく日本語全く喋れなかった自分は、今大学で勉強している。この5年間は、自分にとっての意味ももう一度確認したくなる。
5年という月日の間に「復興」の度合いも人により差が開いている。未だに仮設住宅の中に暮らしている人はいる。一方で災害公営住宅へ引越し、新生活を始めようとしている人もいる。昔住んでいた場所への帰還を待っている人もいる。一方でふるさとに帰ることを諦め、新しい場所に生活することを決めた人もいる。5年も経った今でも、東北という土地に震災の大きな跡が残っている。
私たち今回のツアーで出会った鈴木茂さんは昔唐桑の小鯖地区でずっと暮らしていた。震災で自分の家は全壊した。しかし、彼はこの5年間でずっと小鯖地区の再建のため、力を尽くした。やっと、小鯖地区の集団移転ができ、3月11日の午前中に鍵渡すことができた。小鯖地区の住民たちはようやく仮設暮らしと別れ、新生活を始めるになった。この5年間は、彼にとってきっととても長いと感じるでしょう。
 そして、現地で私たちのような大学生に震災経験と人生経験を語ってくれ、今までも何回もお世話になっているカエル塾の馬場国昭さんは、震災のおかけで、学生からたくさん元気づけられたそうです。震災のきっかけで、自分が若い友たちたくさんでき、「震友」がたくさんできた。この5年間も同じく忙しかっただろうが、きっと悲しい思いより、笑い声のほうがよりカエル塾で聞こえるでしょう。5年間はあっという間と感じたかもしれない。
 私も、迷った自分が震災の時に、なんか「頑張らなきゃ」を感じられたような、もっとしっかり自分の人生を歩くことを決めた。大学に入学した後にも、恩返しのような被災地のボランティア活動をし始めた。しかし、何度も現地へ行き、現地の人と仲良くなり、何らかの不思議のつながりができてしまった。今つなかんへ行くと、もちろん、「お邪魔します」じゃなくて、「ただいま」を言う。唐桑へ行くことも、奇妙に里帰りの感覚がする。私はこの感覚をずっと大事しにしたい。この5年間の時間も、ずっと大事にしていきたいと思う。
 これは、今回「5年」という節目の時の唐桑ツアーで感じたもの。きっと、こう思ったのは自分だけではないと思う。震災経験自体はとでも悲しいことと思う。あの大きすぎる体験を私たちは忘れてはいけないと思う。しかし、その悲しみの終点に生まれたのは、私が現地で確実に感じた喜びである。その喜びは、「復興」に対して、大きな意味があると思う。その「喜び」のためでも、「復興」はこれからずっとやるべきだと思う。
 次の唐桑ツアーは参加するかどうかは分からない。当たり前ように参加するかもしれない。しかし、まだ昔の自分の姿や感覚で行くと何かの違和感を感じる。この5年間を経験した後の自分、成長した、あるいは変わった自分なら、行けるかもしれないが、その自分はどこにいるのはもう少し模索したい。


【2016/04/19 15:47】 | 活動報告
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FRONTIERS2015年度3月唐桑ツアー報告書
社会学部社会学科2年  
若杉 遥

 今回、2016年3月10日~12日の日程でツアーん委参加した。以下にツアーを通して感じたことを記す。
 ツアーの中で、印象深かった点が2点ある。
 一つ目は、1日目、岩手県陸前高田市を訪れ、米沢さんのお話を聞いたことである。震災後初めて被災地を訪れたが、訪れる前は、津波によって被害を受けたということがあまりうまく創造できていなかった。現地を訪れることでそれを感じることができるのではないかと考えていた。しかし、米沢さんのお話を聞き、実際に陸前高田という街を見て、この地に町があり、それが津波によって流されてしまったということを現実的に感じることができなかった。さら地になった町は、5年前まで家が建ち、人が住んでいたということアが考えられないくらい何もなくなっていた。一方で米沢さんのお話というのはとてもリアルで、お話と、実際に見ている風景との差があり、心の整理が追いつかないような状況になった。
 2点目は、3日目、宮城県気仙沼市唐桑町の馬場さんを訪れたことである。馬場さんのお話を聞く中で、震災をきっかけに、失ってしまったものはあるが、一方で、手に入れたものんもあるのだと感じた。そして、その失ってしまったものではなく、手に入れたものを見て、大事にしているように感じ、驚いた。馬場さんは「震災ありがとう」とおっしゃっており、。その言葉には賛否両論あるとも言っていたが、そういう言葉が出るということはそれが本心なのだろうと感じた。
 3日間を通して、私の考え方の面で変化した天がある。一つは復興というものの考え方についてである。現地を訪れるまでは復興とはなくなってしまったものを、元通りに戻すことだと考えていた。しかしそうではないのだと感じた。震災によって失てしまったものを、震災前のように完全に戻すことはできないと感じた。必要なことは、。そこから新たな価値を見出していくことではないかと感じた。しかし、だからと言って、今私に何ができるのかと言われると、わからない部分がある。これからできることは、現地の方も言っていたように、現地を何度も訪れ、復興していく様子を見ていくことかと思っている。
 二つ目は、震災があったからと言って、暗く、悲しい生活を送っているわけではないということであり、被災地に対して、何事も「してあげる」立場にはないのだということである。今回のツアーを通して、私はたくさんの人から元気と人の温かさを感じた。震災当時のお話を聞かせてくれる方々、家族のように接してくれる方々と出会い、普段の生活では忘れてしまいそうになる人とのふれあいのようなものが改めて大切なものだと感じることができた。しかし、私が元気をもらって、私はなにかを返せているのかということは、引っかかる部分である。なにかしたいけれど、なにもできていない、何かすることは押し付けではないかという思いもある。これから先、なにをすることが最も良いのか、知るためにも、また訪れる機会をつくろうと感じた。


【2016/04/19 15:45】 | 活動報告
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再発見したボランティアの形
社会学部社会学科2年
岩谷菜央

 今回の3月の唐桑ツアーは、それまでのツアーとは少し異なっていた。今までは、唐桑ツアーの目的は被災地に行くのにためらっている人などを東北へ連れていく、という目的があった。「震災から時間が経ってしまって行きづらい」や、「一人で被災地へ行くのは怖い」などと思っている人へのきっかけ作りを提供するために唐桑ツアーを行ってきたのだ。3月のツアーはその目的に加え、新しい目的が一つ加わった。それは、「現地のニーズを知る」ということだ。震災から5年が経った。そして、唐桑ツアーを何回も開催し、現地の人たちとの関係もできてきた。だからこそ、今わたしたちに何ができるのか知りたかった。今まで通りただ初めて東北に来る人を連れていく活動では何か足りないのではないか、とても思っていた。唐桑ツアーは初めて東北に行く人に加え、何度も唐桑や陸前高田へ訪れた人も多く参加している。何度も東北へ行ったことのある人が、毎回会うなじみの人に会い、話をして帰るという活動だけで良いんだろうか、とも思った。何度もfrontiers内で話し合い、いっそまちづくりや、コミュニティ再建などに活動をシフトしても良いのではないか、という意見も出た。自分たちの活動に自信が持てず、「ただ現地の人に会いに行くだけ」という活動を変えなくては、という思いを持って私は唐桑に行ったのだった。
 だが、唐桑に着いて一日目からまず失敗だった。唐桑ツアーの中で会うのは初めてである、唐桑の喫茶店のマスターの藤原さんにお話を聞いた。そこで「大学生が今できることって何でしょう?」と聞いたのだが、「楽しいと思うことをすればいいんじゃないの」という答えが返ってきた。これまでの唐桑ツアーでも、私が地元の人に同じような質問をしたとき、「唐桑に来るだけでいい」という答えが返ってきた。この「来るだけでいい」というのが私にはよく分からなかった。ただ会いに行き、自分たちが楽しいだけでは駄目なのでは、と思ったのだ。藤原さんは、「自分たちが楽しければきっと相手も楽しいはず。それで良い」と言ってくれた。だが、何か明確な答えを求めていた私は、「聞き方が悪かったな。失敗したな。」と思ってしまった。
 私の考えが変わったのは一日目の夜だ。夜は学生4人の少人数で、馬場国昭さんの元を訪れた。馬場さんは私たちがいつもお世話になっている方だ。去年は立教大学に馬場さんを呼び、講演会を開いた。講演会の後は一緒に東京散策をするなど、深い関係を築けた方である。その馬場さんにも私は、「これからボランティアってどういうことをしたら良いんでしょう」と聞いた。そのときは、正直私はこの質問をしたくないと思っていた。親しくなった馬場さんと、最近ではボランティアについて話したことはなく、もっと他の話をしたいと思っていた。馬場さんの答えは、「外面的なワークと内面的なワークの話したろ。今は内面的なワークの時間なんだ」だった。この外面的なワークとは、目に見えるがれき撤去など初期のボランティア活動だ。一方内面的なワークとは、震災から時間が経ったのちの、心のケアのようなものを指す。馬場さんの二つのワークの話は私が初めて馬場さんと会ったときにも聞いていた。内面的なワークって一体どんな活動を指すのか、私には分からなかった。また、私たちに内面的なワークができるとも思えなかった。しかし、馬場さんはそのあとに、今私たちが何度も自分の元に来てくれることを嬉しく思うこと、絆がわたしたちとの間にあることを伝えてくれた。そのときに私は、初めて内面的なワークが、「唐桑ツアー」にも当てはまるのではないか、と思った。
 私は、正直自分の「楽しい」気持ちは無視していた。ただ地元の人に会って話をするのが楽しいから東北に行くだけでは、理由にならないと思っていた。だが、藤原さんの話や、馬場さんの話を聞いて、考え方が変わった。楽しいと思って地元の人に会いに行くことが、知らないうちに馬場さんとのように関係性を築けていたりする。何もしていないように思った唐桑ツアーも、わたしたちと地元の人との間の関係に、ちょっとでも影響を及ぼしている、ということが分かったのだ。
 そして人と会うのが楽しい、と思い出したきっかけの一つは、泊まっている宿「つなかん」での出来事であった。「つなかん」では東北に来たよそからの人間が多く泊まっている。普段なら話すことも無いような大人や、他の学生と「つなかん」では気軽に話すことが出来る。「つなかん」は出会いの場なのだ。そこで、愛媛から毎年来るというおじさんに出会った。その人と深夜三時になるまで話したことで、「そういえばつなかんってこういう場だった」と思い出した。全く知らない人と、いち学生が対等に「つなかん」では自由に話すことが出来る。それが面白かった。
 そして、最終日の三日目は唐桑で昔まちおこしの活動をしていたことがある佐藤さんと、鈴木さんという方にお話を聞いた。今回の唐桑ツアー三日間で思ったことを話すと、「それで良いんだよ」という言葉にとても自信が付いた。
今までは今の唐桑ツアーの形では、駄目なのだと思っていた。それが、色んな方の話を聞いて、「唐桑ツアー」にも価値があるんだ、と改めて認識することができた。私が初めて唐桑に行ったのはちょうど一年前だ。一年間唐桑に何回か通ってみて、よく会う方には顔をちゃんと覚えてもらっていた。唐桑に行くと、地元の方の顔が会った時にぱっと輝くのが私は好きだ。「また来てくれたんだ!」ということが伝わるからだ。唐桑ツアーにも価値があるんだ、と思うまでにはこの一年間で紆余曲折があった。ただ現地の人に会いに行くだけで良いのか、と悩み、結局のところ「それでもいいんだ」と分かったのが今回の唐桑ツアーだった。私は馬場さんのように、何度も会って知らないうちに関係を深めていたような人を今後のツアーで増やしていきたい。そして、今まで会った人に会うのと同時に、今まで会ったことのない人にも会っていく活動をしていきたいと思った。唐桑ツアーを変えようと思って行った3月ツアーは、結果唐桑ツアーの良さを再確認することができたツアーであった。今後も、唐桑ツアーを続けていきたいと強く思った。


【2016/04/19 15:44】 | 活動報告
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2016年3月唐桑ツアー報告書
社会学部社会学科2年 髙橋佑芙花

 私は今回去年の5月以来、唐桑ツアーとして現地を訪れるのは3度目でした。私達Frontiersの主催するこのツアーは、現地で何か目に見えるボランティアをすることを目的としていません。現地を見てまわって、そこで出会った方々と交流することを大切な目的にしているツアーです。現地の様々な方とお話する中でこちらが得られるものはたくさんあって、私自身いつも大きなパワーを頂いて東京に戻って来ます。しかし復興支援団体として、その一員として何ができているのか…?このことを考えるとモヤモヤすることが多々ありました。ツアーに行く意味、ツアーのある意味を参加するからには考えなくてはいけないということに正直疲れてしまって、前回のツアー後はすぐにまたこのツアーに参加したいとは思えませんでした。それでも今回のツアーに参加したいと思ったのは、震災から5年目の3月11日という節目の日に現地にいたかったから、そして単純に唐桑で出会った方々にまた会いに行きたいと思ったからです。それと同時に今回は、5年目という節目に、団体としても今後どうしていくべきかしっかり向き合って考える良い機会になるということで、皆で「今後を考える」という目的を持ってツアーに臨みました。
 3月11日に現地にいたのは初めてでした。地震発生時刻の14時46分は気仙沼の安波山で黙祷しました。現地の方や地方から来た団体などで割と人はたくさんいましたが、発生時刻が迫ってくると皆が自然と静かに海を眺めていたのが印象的でした。東京にいるとどうしても何となく過ごしてしまうであろう14時46分を、現地で、現地の方々と一緒に、響き渡るサイレンを聞きながら黙祷できたこと、そして3.11という日を1日かけて肌で感じ考えられたことは本当に良かったと思っています。また、陸前高田市の追悼式で献花をさせてもらったり、色々な所でマスコミ関係者を見かけたり、普段のツアーでは見られない現地の様子が見られたことは非常に貴重な体験になりました。
 もう一つ、初めに書いた「唐桑ツアーの意味」を再確認できたことは今回とても大きな収穫だったと思います。現地の方々はいつも「来てくれるだけでいい、来てくれた皆とおしゃべりすることが楽しみ、また顔を見せてくれれば嬉しい」と言ってくださいます。これまではこの言葉を聞いても、本当にそれでいいのか?もっと目に見えてできることをしなくていいのか?となかなか素直に受け取ることができませんでした。しかし今回、これからの方針を探るという目的を持って改めて聞いたこの言葉と、現地のある方の言葉「ここはいつまで被災地なのか。被災地じゃなくなったら人は来ないのか。今まで唐桑に来てくれていた人が来なくなってしまうことが怖い」という言葉を聞いて、5年経った今、そして5年後以降のこれからこそ、唐桑の地に足を運び続けることそれ自体が大切なのかもしれないと思うようになりました。新たな出会いや再会を喜び、それを現地の方も楽しみにしてくれているのならば、それを素直な理由にして現地に行っても良いのではないかと今は感じています。被災地として出会った唐桑も、私は今ひとつの土地として魅力を感じ、ツアーでなくてもまた行きたいと思う場所になっています。唐桑だけでなく、街の変化を大きく感じられる陸前高田も、これからどうなっていくのか気になるし、また自分の目で見に行きたいと思う場所です。このように現地に「また行きたい」思ってくれる人、東京にいながら少しでも現地のことを気にかけてくれる人、そして実際にまた現地を訪れる人が増えるようなきっかけ作りとして、私たちの主催する唐桑ツアーは意味を持っていたのではないかと改めて実感できました。そう改めて思わせてくださった現地の皆さん、本当にありがとうございます。これからも自信をもってこのツアーを継続していきたいと思います。また、今回初めて先輩方のいないツアーに参加したのですが、初めて唐桑を訪れるメンバーに場所の説明をしたり、現地の方とのつなぎ役をしたりするのはなかなか難しいということを実感しました。しかしその分、できる限り自分の経験を元に初参加のメンバーにも現地の様子や変化を伝えていきたいし、私自身がそうであったように唐桑や東北に魅力を感じてくれる人を増やしたいという思いが強くなりました。だからこれからも、唐桑が素敵な場所であることを紹介するためにも、そしてもちろんツアーで出会った様々な方と再会するためにも、唐桑に足を運びたいと思っています。


【2016/04/19 15:43】 | 活動報告
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社会学部社会学科2年 
岩谷菜央

今回の写真展はホームカミングデーの日に開催ということだったので、来場者は大人の方がメインでした。始まる前までは正直上手くいくか分からなかったのですが、実際写真展にいらして下さった方は、熱心に見て下さる方も多くいらっしゃいました。一般の写真展とは違い、Frontiersの写真展では来場者の方と出来るだけお話をし、写真展という場を通してコミュニケーションをすることを一つの目的としていたため、今回は学生ではない大人の方とお話をすることが出来てとても有意義な時間を過ごすことが出来ました。仕事で東北に行き、何か支援することは出来ないか、と東北へ訪れた方や、東北へ行き、自分には何が出来るのか分からないから、お金を落として帰ってくる、という方、様々な東北との関わり方を伺うことが出来ました。また、震災から時間が経っても、以前東北へ行ったことのある方や、興味のある方がふらっと立ち寄って東北について考える場を提供することが出来て良かったと思います。写真だけでなく、付属のコメントもじっくりと眺めて下さる方が多く、柔らかい東北への感情を共有することが出来たかなと思います。是非また今後も機会があれば写真展を継続していきたいです。


【2016/04/15 21:43】 | 活動報告
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