立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
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私たち復興支援団体Frontiersは、10月18日のホームカミングデーにて、11号館で東北の写真展を開催致しました。写真展で使用した写真は、社会学部・東日本大震災RDY支援プロジェクトの活動の一貫として気仙沼市唐桑町及び陸前高田市を訪れる「唐桑ツアー」で参加者自らが撮影したものです。また、撮影者による状況説明や、その時の心境などのコメントも写真と一緒に展示致しました。撮影者のコメントを通して、ただ写真を見るよりも、より臨場感あふれる東北の雰囲気を感じていただけたのではないかと思います。震災についてのコメントや東北の捉え方はまさに十人十色です。「唐桑ツアー」参加者の主観を感じてもらうことで、「これが人のためだ」「これが正しいんだ」といった言葉に集約されないとても重要なものがあるということを感じて欲しい…そういう思いで今回の写真展を開催致しました。



2015HCD写真展01


2015HCD写真展02


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【2015/11/24 17:18】 | 活動報告
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8月唐桑ツアー報告書

社会学科3年 山本武

今回の唐桑ツアーはこれまでより自分の気持ちを考えながら参加することができた。運営側としての立場に少し慣れたからかもしれない。まずそこが個人的にとてもよかった。この報告書では私が東北で感じたことと唐桑ツアーの意味のようなものについて述べたいと思う。
最初に感想のほうを。これまでより多くの人と会話したツアーだったように思う。会話をしていて先入観やイメージがとっぱわれていくと相手がいろいろな可能性を持った人として登場する。私は相手が捉えきれなくなると不安なので何とかしてカテゴリー化をしようとする。だから私は2日目の夜にあった唐桑の現地の若者を中心とした団体、からくわ丸さんとの交流にはだいぶ緊張していた。私はからくわ丸の人に対して陽気で目的が定まっている人たちというイメージを持っていた。実際にからくわ丸の人と話をしていて自分の思ってもみなかった考えや予想とは違う答えが返ってきたりして、不安になったりもした。(無論、感じていたのは不安のみではない。)
しかし、その不安がとても重要なものだと感じた。そもそも人と関わるということは不安を伴うことではないだろうか。どれだけ親しい人でも何を考えているかわからなくなったり行動が読めなくてそのわからなさが不安になったりする。そのわからなさは、相手を理解したり知ろうとしたりすることによって生じるものであるようにも思う。相手をカテゴリー化をしておいて、その範疇から出ないように相手と関わっていればその不安は生じにくいだろう。普段、先入観やイメージで人を捉えて、相手を単純化しようとしていることに気づかされる。そういう意味でも東北に行って話をすることは私にとって重要だ。
コンセプトの点から言えば唐桑ツアーは私の生き方、復興支援の考え方、東北の人とのかかわり方という点につながっていると言えるだろう。個々が感じることに重きを置く唐桑ツアーでは、参加者全員に共通で具体的で明確な目的を置くことができない。私は自分の考えを明確にもてていないし、持っていたとしてもいとも簡単に壊されてしまう。そのため、「ボランティア」としてある意味で相手から逃げることができない状況に置かれ、目の前にいる人そのもの(「被支援者」としてではなく)、風景そのもの(「被災地」としてではなく)を見ようとした時、私の生き方、復興支援、目の前の人とのかかわり方について考えさせられるのだ。そこには大きな不安とわからなさが存在するが、とても重要なことと感じている。
今回で5回目の参加となったこのツアー、Frontiersの活動としての唐桑ツアーを考えてみた。達成したかどうかわかりにくいコンセプトで(少なくとも体裁は)「ボランティア」という立場で行くことによっていろいろなところに目を向けることができる。いろいろな可能性を開いておくことで「支援者」、「被支援者」というカテゴリーから漏れ出すよくわからないもの、簡単に言葉にすることができないことを感じることができるかもしれない。そのよくわからないものを感じることができる可能性を秘めているのが唐桑ツアーの存在意義なのかもしれない。それが「支援者」「被支援者」の関係のみにとどまったり、逆に震災のことを全く考えずにいたりすると、よくわからないものは漏れ出てこずにすっきりとしたものになるかもしれない。その間で揺れ動くことでFrontiersの活動方針でもある「復興支援を考え続ける」ことができるのではないだろうか。
その「わからなさ」は少なくとも私にはとても大きな影響を与え、これからも何らかの形で私と東北を結びつけるだろう。


【2015/11/24 17:10】 | 活動報告
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2015年8月唐桑ツアー感想文

文学部文学科3年 藤原直貴

 今回で私が唐桑に訪れるのは5回目だった。4回は唐桑ツアーで、1回は個人的に旅行で行った。初めて唐桑に行ったのは去年の5月の唐桑ツアーの時なので約1年の間で結構な回数訪れていることになる。私は飽きっぽい性格だと思うし、みんなで一緒にどこかに行って現地の人と交流するというようなものは苦手なタイプなのだけれど、何故だか何度も唐桑に訪れている。唐桑に魅力があったのか、それとも唐桑ツアーに惹かれるものがあったのか、たぶんどちらも正解だと思うけれどこれまでのことを少し振り返ってみたいと思う。
 最初に唐桑ツアーに参加しようと思ったのは東北に実際に行ってみて自分の目で見てみたかったからだった。初めて行った2014年5月当時は震災から3年経ってはいたものの、その景色は私に震災の力強さを感じさせるのには十分なものだった。特に陸前高田の360度周りに何もない、けれど以前あった街の痕跡がいたるところにある景色には、そこで「何か」が起こったということを肌で感じさせられた。信じられないような景色でありながら、現実感も強いその景色は今振り返っても不思議な感じがする。3.11の時に東京で感じた揺れとその後自分の身の回りで起こった非日常的な出来事、テレビで見た震災直後の信じられないような光景とその後何日間も続いた震災のニュースの非日常感が、現地に行って実際にその地に立って見てみることで少し説得力を持って感じられるようになった気がした。自分がそれまで感じていた震災に対しての処理しきれていない感覚が現地に行って見て話を聞いたことで少し鮮明になり、そのことが信じられないような目の前の景色に現実感を持てた理由の1つではないかと思う。
 景色以外にも印象的だったものがある、それは唐桑ツアーで会う人である。会う人は大きく分けると、ツアー中に話を聞きに行く人、宿(つなかん)に泊まっている人、ツアーに一緒に行く人の3つのタイプに分けられると思う。話を聞かせてくれる人というのは、まとまった時間私たちに震災当時の話をしてくれる人のことだ。このツアーの中で話を聞かせてくれる人は当時の話に加えて今その人がどう生きているのかを感じさせてくれる人が多いと思う。そんな風に価値観を引っくり返す人生の転機になるような出来事に対する、人の想いを聞けるのは凄いことのように思う。その凄いことに思えることを自分たちがどのように受けとってどのように次に繋げるのかはまだわからないけれど。
 次のつなかんに泊まっている人というのは言葉の通り自分たちが泊まっている期間中に同じ宿に泊まっている人達のことで、夜になると話すことになることが多い。つなかんに泊まりに来る人達はボランティア関係で来ている人が多く、社会人の人が多い印象だ。そこで会う人は東京で普通に大学生活をしていてはなかなか会えないタイプの人が多い気がする。具体的には震災直後から唐桑に入って今も定期的に愛媛からトラックを運転してくる人や、学生時代ボランティアをしに来ていてその時出会った唐桑の人と結婚して今は関西で働いているけれど今後気仙沼に帰ってくると言っている人などと会った。共通点としてボランティアというものがあるけれど、その関わり方は人それぞれでこんなにも色々な生き方があるのかと話すたびに思う。東京の生活では就職活動をして就職して働き始めるという外面的な道筋ばかりしか見えてこない気がするので、こんな風に人が何を思って生きているのかを感じられる場は自分にとって貴重な気がした。
 3つ目のツアーに一緒に行く人というのはそのままの意味の唐桑ツアーに参加する人のことである。毎回引率の先生と院生の人が2人、公募での参加者が3人、ツアーの企画にも携わっているfrontiersのメンバーが7人くらいで現地に行かせてもらっている。ツアーのコンセプトも自分たちで考える。昨年度が「東北を身近に〜◯◯◯〜」、今年度が「ひろがり〜点から線へ〜」だった。どちらのコンセプトにも共通するのはあまり明確すぎる目標を立てず、参加者それぞれの感じ方を尊重する余地を残したいという考えがあるように思える。それなのでツアー自体もスケジュールを予定で埋めすぎず、自由な時間も多い。ふりかえりという形で思ったことをそれぞれが言い合う時間もとるが、その際も批判をしあったり正しさを無理に求めようとしたりはしないように思う。簡単に答えを出すのではなく少し立ち止まって自分で考えてみる、というのがこのツアーの特徴なのではないだろうか。ひとまず答えを出すことで進められること・できることの方が多いかもしれないけれど、立ち止まって疑ってみることで見えてくる・すくい取れるものも少しはあるのではないかと思う。
 今回のツアーでもこれまでに会ったことのない人ともたくさん会ったし、たくさん話を聞かせてもらった。新しく聞いた震災・震災後の話もあった。しかし1年前に行った時よりはツアーで行く場所も、聞く話も震災色は薄れていた気がした。でもそれは悪いことではないと思うし、現地の人との関係性という意味では1年前よりも深くなっていると思う。ただ復興支援団体が企画する現地に行くツアーとしてはその意味付け(位置付け)をすることが難しくなってきているのは確かだと思う。来年の3月で5周年となり1つの区切りを迎えると思うが、それから先この活動をどのように続けていけばいいのだろうか。震災について、復興支援についてだけではなく、自分たちのこれまでやってきた活動をどう位置付けて次の活動につなげていくのかについても考える必要があるように思う。



【2015/11/24 17:09】 | 活動報告
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2015年8月唐桑ツアー感想

立教大学社会学部社会学科4年 山口鈴香

 私にとって約2年ぶりの唐桑と陸前高田の訪問。前回は、社会学部の「震災のフィールドワーク」という授業で、震災を経験された方からお話を伺うことが目的でした。なので今回は、現地の方や参加者の皆さんとの交流を楽しむこと、2年間での変化を感じることを目的に、このツアーへ参加しました。
 この3日間、本当に山ほどの経験をさせていただきました。その中でも、私が特に感じたことは、「時間」と「出会い」です。
 初日、気仙沼駅から車で移動中、その街並みを見て「2年前のまま」という印象を受けました。確かにかさ上げは進んでいるけれど、更地であったり仮設の店があったり、いわゆる復興がまだまだ進んでいないように思いました。そのことを早馬神社へ訪れた時もそう感じました。神社の前には津波が襲った痕跡が色濃く残っており、その場所だけ震災から時が止まっているようでした。その一方で、2日目に陸前高田へ訪れた時は、「2年のスピード」を感じずにはいられませんでした。巨大なベルトコンベアーがあり、かさ上げは加速的に進み、どこか別の空間に来たような感覚でした。しかし、米沢さんと米沢商会ビルへ行った時、確かにここは人々の生活があった場なのだと、やっと受け止めることができました。震災当時、米沢さんが必死で逃げた通気塔から見た光景は、今でも忘れられません。
 そして、このツアーで「新たな出会い」と「再会」をさせてもらったように思います。震災のお話を伺った皆さんをはじめ、つなかんやからくわ丸の皆さんなど、3日間たくさんの方との出会いがありました。東北へ何度も足を運ぶことで、1つ1つの「点」としての出会いが、また別の誰かと出会う「線」になっていくように感じました。その「線」が広がることで、再びこの地へ訪れたい、関わりたいという気持ちになるのではないかと2年ぶりに来てみてそう思っています。                    
 震災から4年が経ち、状況はより複雑になっているように思います。未だ仮設暮らしで生活が安定していない方々がいる一方で、復興に向けて前へ進んでいる方々もいます。そのような中、どのようなスタンスで東北へ訪れたらいいのか考えてしまうことも正直あります。それでも今後も東北へ訪れ、そこでの経験を一人でも多くの人と共有をし、自らも「線」を増やしていきたいと思います。
 3日間お世話になった皆さん、そして参加者の皆さん、先生方、本当にありがとうございました。



【2015/11/24 17:08】 | 活動報告
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唐桑ツアー報告書

文学部文学科3年 小田嶋景子

 私はこの8月のツアーで唐桑ツアーに参加するのは3回目となった。今回のツアーに参加したいと思ったのは以前から3回は参加しておきたいという思いがあったからだった。その理由は、1回目には初めて「被災地」という場所に行って感じること、2回目には再び訪れた時に感じること、3回目以降は何度か訪れたことがある身として行って感じること、という一通りの感じられるものというのを経験できるのではないかと思ったからだった。そうすることで、最低限このような活動に関わったことへの自分なりのけじめがつけられるのではないかと思っていた。
 実際に行ってみると、自分のことを覚えていてくれる方がいたり、再会を楽しみにしてくれている方がいたり、また自分も覚えている場所が増え、さらにそれらの道筋が結び付けられたりと、より唐桑と自分の関係ができてきていると感じられることが多く、それが嬉しかった。しかし、今回のツアーでは初めてのことも多く、新鮮さを感じながら過ごすこともできた。早馬神社を訪れたことやからくわ丸の方々と交流したことがそうである。また、陸前高田で道の駅や一本松を見たのは昨年の5月のツアー以来であった。その時は初めて参加した時の最初に訪れたため、緊張もあり肩に力が入りすぎていた。そのため、今回じっくり見ることができたのは良かったと思う。
 3回という目標も達成できたため、3年生の8月という時期を考えてこれが最後の唐桑ツアーにするつもりでいたが、唐桑に行っている最中にすでにまた行きたいという気持ちが湧いていた。それは、まだまだ自分には分かっていないことがあるということを感じたからでもあり、自分が唐桑で会う人たちとの関係ができ始めていることが分かったからでもある。そしてツアーを終えて最終的に感じたのは、今度はFrontiersの唐桑ツアーとしてではなく個人で行ってみたいということである。それは以前から感じていたことではあるが、今まではそれは「夢」というようなものだった。しかし、今回はそれが実現できることとして感じられるようになっていた。自分を個人として分かってくれる人がいるということが自信になったのかもしれない。また、ツアーとは違った個人で行くことで発見できるものや得られることを求めているのかもしれない。ただ、一人で行きたいのか、同じく唐桑ツアーを経験したFrontiersのメンバーと行きたいのか、そしてそこで何を得たいのかということはまだ分かっていない状態である。
 また、今回掲げている「ひろがり~点から線へ~」というコンセプトについてもこの報告書を書くにあたって考えてみた。上記の通り、自分とツアーで行く場所や出会う方々との関係性ができてきているということを「ひろがり」と言うこともできる。しかしそれは、単にぼんやりしていた点がはっきりした点になっただけなのではないかとも思う。また、日常に目を移しても、唐桑ツアーに参加するようになってから、「気仙沼」や「陸前高田」というワードに反応するようにはなっている。しかし、それが「点から線」になっていると言って良いのだろうか。私の日常生活の中には様々な世界があり、このような活動のことが全く関係のない世界もある。点から線になっても、ひろがっていっても、それはあくまでも復興支援に関する活動を通した世界の中だけのひろがりなのではないか。そんな風にも考えてしまう。
 このコンセプトが達成されているのかと様々な場面を考えた時に、無理やり「ひろが」っていて「点から線」になっていると結び付けることはできるように思えた。しかし、それはこのコンセプトの本来の意図とは違っていて、「自然に結びついていた」という状態がこのコンセプトが指したかったところではないかなと思った。そのため、今自分が「ひろがり~点から線へ~」を達成できたのかというのは分からないが、もっと後になって振り返った時に「これって点から線になっていたのかもしれない」と思えれば、きっと達成と言って良いのだろう。そのような日が私にも来ればいいと思う。



【2015/11/24 17:07】 | 活動報告
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唐桑ツアー 報告書
                                                       社会学部現代文化学科2年 加藤美帆

 2015年8月、震災から4年と半年後、私は震災後初めて東北を訪れた。このツアーに参加したきっかけは、学部の仲良しの友達がフロンティアーズに入っており、話を聞いているうちに唐桑という地を訪れたくなったからだ。
 今回のツアーで感じたことのひとつは、唐桑の人々の魅力だ。地元の人々だけでなく、よそ者である人間も歓迎する、あたたかさがある。初日に馬場さんと夜ご飯を一緒にとらせていただいた時は、初めてかえる塾を訪れたにも関わらず、馬場さんの包容力に触れることですごく安心出来た。友達から伺っていた通り、とても面白く魅力的な男性だった。印象に残ったことは、馬場さんが講演会でおっしゃっていた「震災ありがとう」の意味を理解出来たことだ。お会いする前にその話を聞いた時、私には理解できなかった。想像もできないくらい心にも環境にも被害を受けた震災であったと考えられるのに、なぜそんなことが言えるのか。しかしそれは彼が震災後東北に訪れるボランティアや学生を「旅人」と称し積極的に受け容れ、震災によって生まれた関係性を震友→親友→深友へと発展させた、包容力にあるのではないかと考えられた。「震災ありがとう」と言える彼の人としてのたくましい生きる力を強く感じた。
 最終日は福祉の里という仮設住宅を訪れた。一時の仲であるにもかかわらず、わたしたちを手作りのお菓子でもてなしてくださったり手作りのミサンガまでいただいたりした。そこで出会った少年は気持ちよく、別れ際バスが出るまで見送ってくれた。このようなあたたかさに触れ、より唐桑を訪れたい気持ちが強まるばかりであった。
また、感じたこととして、4年半という時間は経っているが、震災は終わっているものでなく、被害を受けた人にとっては人生を語るうえでもはや欠かせないものであるという現実も痛感した。                                
米沢さんに実際に陸前高田を案内していただいたことで、当時の状況、様子、心境をテレビなどのメディアで知るよりずっとリアルに感じることが出来た。特に衝撃的だったのは、米沢さんが屋上へと逃げるまでの説明により浮かんだ情景だった。はしごのぎりぎりの高さまであたり一面海水が覆い尽くし、はしごで踏ん張りながら津波の動きに耐えていた、という話を実際に踏ん張りながら想像したら、気が滅入ってしまいそうだった。またお話で、そこから津波に飲み込まれる避難所であった図書館を見て、そこに逃げたご両親と弟さんが亡くなるのを確信した、と聞き、家族が無事でいてほしいという一番に願うはずであろう希望がもてない程、津波はすさまじかったのだと改めて想像出来た。最後にベルトコンベアーがり盛り土が広がる現在の陸前高田を前に、以前の道路の跡を見ながら、米沢さんから以前の街並みの説明を聞かせていただき、わたしが初めて目にした陸前高田は盛り土が広がる何もないところだけれど、ここには確かに人々が暮らし、地域の絆があった住民の故郷なのだと強く感じた。米沢さんはこれからの陸前高田にはっきりとした希望をもっていらっしゃり、五年後、十年後も是非見届けてほしい、今とは全く違う光景が広がっているはずだから、とおっしゃられ、その言葉は心に強く残った。また訪れたいと強く思っている。
 私にとって今回の唐桑ツアーは夏休みのひとつの大きなイベントのつもりであったが、それ以上の、人生において忘れられない人々の出会いをもたらしてくれたものになった。

【2015/11/24 17:06】 | 活動報告
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「唐桑ツアー 8月期」を終えて

経済学部会計ファイナンス学科2年 原田真衣

 今年の8月、無事に唐桑ツアーを終えることができました。私は5月にもこの唐桑ツアーに参加し気仙沼市・陸前高田を訪れたので、今回で訪れるのは2回目となりました。今まで東京にいるだけでは知らなかった東日本大震災のことを、はじめて現地で直接自分の耳で聞いて、目で見て、ひどくショックを受けた1回目とは違い、なんとなく気持ちには少しゆとりがあったように思われます。それと同時に、これからの唐桑や陸前高田がどう変わっていくのか、どのように新しい町づくりが行われていくのか、ということに期待する気持ちが少しずつですが芽生えたように思います。
 今回は私にとっては始めて訪れた場所が何か所かあります。まず、その一つ目の早馬神社では、実際に津波の被害にあわれた状況から今に至るまでどのようなことを行ってきたのか、について詳細に話してくださいました。早馬神社での津波到達地点をはじめて見たとき、その下まで津波が押し寄せてきたのだということを想像し、全身が震えた感触を今でもとても覚えています。また、その地域の人々のつながりについても話してくださり、とても温かい人々が集まっている地域だなと改めて実感することができました。
 そして、二つ目にりくカフェにはじめて訪れました。りくカフェは、開放的でかつ暖かいところで、また店員さんの笑顔がとても輝いていたことがすごく印象的に残っています。またそのような落ち着いた空間で愉しむ紅茶とケーキは格別でした。そこでも被災された時の状況をこと細やかに教えてくださり、本当に親切であたたかい心を持った人と接することができました。次に陸前高田を訪れた際には必ずまたこのりくカフェに来たいと思いました。また、今回はりくカフェから一本松までの道を歩きました。前回は陸前高田をこんなにじっくり歩いて周ることはなかったので、陸前高田の変わっていく様子を間近で見ることができ、非常に良い機会でした。
 前回と同様に、馬場さんにお会いしたり、つなかんの方々やからくわ丸の人々との交流もしました。馬場さんとの夕食では談笑を交えながらも、唐桑や地震そして津波のことについて詳しくお話ししてくださいました。はじめてTVでは放送されないようなリアルな津波の映像を目の当たりにして、心が酷く震え大変ショックを受けましたが、少しずつでも受け入れて、このことを自分の心にとめておかなければいけないと強く感じました。
 つなかんの女将さんは本当に朗らかで、今回訪れた際もとても元気づけられ癒されました。また、からくわ丸の人との交流ではまたさらに新しい仲間ができ、これからの唐桑について考える良いきかっかけにもなったなと感じます。
 これからも唐桑・陸前高田での少しでも早い復興や町づくりを祈りながら、自分自身でも活動を続け、また足を運びたいなと思いました。そしてこのツアーで感じたことを周りの人にも発信し続けていきたいと思います。


【2015/11/24 17:05】 | 活動報告
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~ひろがり:点から線へ~

文学部文学科日本文学専修2年 松橋たつる
 
8月12日から14日にかけて行われた唐桑ツアーに参加して、被災地に対する私自身の考え方や受け止め方の変化、そして被災者との触れ合いで多くのことを学びました。
私の出身地は岩手県の内陸部の位置する盛岡市です。岩手県の面積は約1万5千平方キロメートルで、埼玉県、神奈川県、東京都、千葉県の一都三県よりも広く、県庁所在地の内陸部、寒冷な気候を利用した畑作物の栽培が盛んな県北部、日本の米どころである県南部、三陸海岸を有する沿岸部と大きく4区分される特色ある地域です。同県人といっても、私の住む地域から被災地域の沿岸部までは距離も時間も遠く、その現状を知る手段はマスメディアしかありませんでした。上京しても被災地域に対する具体的な支援など想いが至らず、「被災地とのかかわり」について深く考えようとはしていませんでした。4年も過ぎ去った今から行動を起こすことは、あまりにも遅すぎるのではないかという後ろめたさを含んだ戸惑いがあったからです。
そんな時に唐桑ツアーの存在を知りました。現地に直接出向き現状を知ることで、これまで自分の中で曖昧だった想いを明確にするきっかけを得られるのではないか、と考え参加を決めました。
「被災地」という言葉には、場所も行動も閉ざされたイメージがありました。しかし唐桑ツアーで出会った皆さんは、私が想像していたイメージと大きく異なっていました。最愛の家族が亡くなった方や、家財のすべてを失った方、悲惨で過酷な状況にありながら過去のことは過去のこととして受け止め、未来に向かって歩みを進めているように感じました。
私にはとても想像できないような体験をしているのに、どうして明るく前を見ることができるのか、希望に満ち、生き生きとしているのか。お話を聞くにつれ、私たちが元気づけられ励まされているように感じました。お話を伺った方の中で「震災に感謝している、震災にありがとうと言いたい」、「今後この街(陸前高田市)がどうなっていくか楽しみ」、などの言葉がありました。驚きとともに、もしも私が被災の当事者ならば、同じようなことは言えないと思いました。人間の力では到底抗うことのできない自然の猛威、災害をどのように考え、そして復旧・復興へ踏み出し未来へ紡いでいくのか、私たちに熱心に語ってくださり、本当に感謝しました。
その人たちの多くに共通していると思ったことは、一日一日を精一杯生き、当たり前であることへの感謝を持っていること、相手方を自分、もしくはそれ以上に大切に思いながら生きているように感じたことです。たった三日間でしたが、私たちをまるで実家に帰ったような暖かな雰囲気で迎え入れてくれ、もてなしてくださいました。「来てくれてありがとう、それだけで嬉しいんだよ」、「君たちに救われた」、「震友(=唐桑に住むBさんが震災によって出会った人のことをこう呼ぶ)ありがとう」という言葉を、創り出してしまう強さを感じました。これまでの私には考えの及ばないこのような「生き方」を目の当たりにし、心の触れ合い、広がり、紡ぎ合いながら地域の復旧や人々の繋がりが展開していくのだなと思いました。
私はこれから復旧が進み復興していく被災地をまた訪れたいです。そしてこれまでの被災地に対する考え方を改め、自分と被災地ひいては地元東北とのかかわり方を探していきたいです。このツアーの経験を自身の中で終わらせず、他の誰かに伝えていくことが、私の、そして誰かの人生の「広がり」にもなると考えます。


【2015/11/24 17:05】 | 活動報告
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2015年8月唐桑ツアー報告書

異文化コミュニケーション学部1年 吉田鞠

私は今回のツアーで初めて気仙沼市と陸前高田市を訪れました。4年前の3月11日、私は神奈川県にいて、中学校で授業を受けていました。大きな揺れに驚きはしましたが、家に帰ってテレビで被災地の状況を見るまではその被害の甚大さには気が付きませんでした。それから私は特に行動を起こすことも出来ずに過ごしてきました。私は震災について何も知りません。テレビから伝わってくる情報からは何も知ることが出来ません。今回現地に行こうと思ったのは、何が起こったのか、そして現在の姿を実際に見聞きして知ることは、何もしないよりずっと価値のあることだと考えたからです。それでも、4年経ってから初めて現地に向かうことに、少し迷いがありました。しかしツアーから帰ってきた今、心から行って良かったと思っています。
私が目にした4年後の被災地は、ところどころに見える津波の爪痕と盛り土、でした。震災直後からこの場所を見てきた方々が今回見た景色と、私が見た景色はかなり違うのだろうと思いました。
行って気づいたこと、考えたことは沢山ありますが、ここではその一部を記したいと思います。陸前高田でお話を伺った米沢さんは、津波の後に残った米沢商会のビルを震災遺構として残されるそうです。様々なメディアを通して、震災遺構を「思い出すのが辛いから残したくない」ということばを聞くことがあります。私はその気持ちも、なんとなくですがわかるような気がします。しかし、米沢さんは「思い出すから嫌だというよりも、ここに来てくれた人に学んでほしい、そして次にその体験をしたときに、生き延びてほしい。」とおっしゃっていました。米沢さんは私たちに自身の経験を教訓として語ってくださっていて、さらに彼は、「ぜひまた来て、変わりゆく陸前高田を見ていてほしい。」と言ってくださいました。
ツアーに行くまで、現地の方々の役に立たなければ行く意味がないような気がしていました。しかし、私たちには現地に行って学ぶことが出来る。行って感じたことを、それを知らない人に伝えることが出来る。そのことに気が付きました。また、現地で色々な方のお話を伺う度に、地域の結びつきの強さを感じました。現地の皆さんがそれを絶やさないよう大切にしている姿勢も感じることができました。近所に誰が住んでいるかもわからない、そんな地域が多くなってきている時代に危機感を覚えました。今東京で大災害が起きたら。現地の方々が体験したことを知らなければ、同じような被害を繰り返すことになります。被災された方々の役に立てないから、と悩む前に、出来ることを探しに行く、ということは大切かもしれない、と思いました。
 この3日間で、素敵な出会いがたくさんありました。私たちを笑顔で迎えてくれる現地の方々、偶然出会った方とも仲良くなれてしまう温かい雰囲気に触れて、小倉先生を始め唐桑を訪れた方々によく聞いていた、不思議なパワーを感じられた気がします。初のツアー参加で、色々な意味で“点”が作れたと思います。このツアーが、人との出会いをはじめ、沢山の“きっかけ”になったからです。行く先々で皆さんが「またおいで。」と言ってくださいました。また行きます。新しい出会いや再会が“線”になり、それが“ひろがり”になるよう今後も活動していきたいと思います。


【2015/11/24 17:04】 | 活動報告
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2年前と初めてと

経営学部経営学科1年 内藤萌

今回初めて唐桑ツアーに参加しました。今回訪れた気仙沼、陸前高田に行くのも初めてでした。2年前の高校二年生のときに岩手県の大槌町を訪れていたので、場所によってどう違うのか、その歳月の間で何が変化したのかに興味があり参加を決めました。
早馬神社から最初に見下ろした景色は、想像以上の被害の大きさを物語っていました。それまでの道ではきれいになっているところも多いなという印象でした。しかし津波の被害がひどかったところでは盛り土は進んでいますが、見た感じもまだ復興は先という印象を受けましたしこのあとどう利用されるかははっきりしていないと聞いて、これからどうなるのかなと感じました。
米沢さんの話を実際の現場にいってお話を聞けたのはとても貴重な経験であったと思いました。まさか津波がくるとは思っていなかったこと、屋上まで波が来たこと、足元まで海のようであったこと、一晩中上で過ごしたこと。事実としてはわかっていても、実際に話を聞くとより実感し、恐ろしさがわかりました。今お話を思い出しても複雑な気持ちになります。家族を亡くしてもそれを伝えてくださる人がいることをとてもありがたいと思いました。
仮設住宅を見ることができたのも大きな収穫でした。初めて訪れたのにとても暖かく向かえてくださったことに感動しました。一人一人思うところがあるのだと思いますし、言葉の中に震災という経験が反映されているのではないかなと感じました。それと同時にこれから出ていく人が増えるにあたり、仮設でのつながりを保つのはやはり難しいのかなと思いました。どうにかしてそのつながりを保つ方法がないのかなと思います。
前回のツアーでは景色を見る、探索がメインでしたが今回は実際に被災した方に話を聞くことが中心で、一言で被災地を訪問するといっても色々なアプローチの仕方があるのだと感じました。それはからくわ丸の皆さんと話しているときにも感じたことです。震災に視点を置くFrontiersのツアーと唐桑の生活を体験したり、ワークショップなどを行っているからくわ丸のツアーでは見たこと、感じたこと、唐桑や震災の印象がずいぶん違うのではないかと思いました。
様々な人たちの話を聞いて感じたのは、二年前の人は後ろを向いていたけれど、今回は前を見ている人が多かったことです。人によって違うとは思いますが、震災ありがとうと口にする馬場さん、事実として受け止めこれからの復興にも目を向けている米沢さん。その変化で、時の流れを少なからず感じました。たぶんその言葉の裏にはいろんな感情があるのだと思いますが、少なくともそう言えるようになったという変化があるのだと思います。自分からもっと話しかけていくことができれば、より多くの人の考えや他の側面を見ることができたんじゃないかなと思います。なので、次は背景をより知ったうえで行ったり、勇気をもって話しかけに行きたいです。
コンセプトは達成できたかなと思います。二年前とのつながりとして、復興を実感したり考えの変化がありました。唐桑ではやっと点が生まれたと思います。復興を見るために何度も訪れ人と人とのつながりを点から線、線から面へと作っていきたいと思います。来る意味がどこにあるのかなと考えることもあります。ですが、その答えを見つけるためにも、この先の変化を見るためにもまた訪れたいなと今は思っています。


【2015/11/24 17:03】 | 活動報告
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