立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
「行きたい」し「行くべき」な唐桑ツアー
社会学部現代文化学科1年 
冨田美月

 今回の唐桑ツアーで、東北に訪れるのはツアーとしては2度目、個人的には7度目となる。特に前回のツアーから今回までの間に、陸前高田にはよくお邪魔したため、だいぶ現地での土地勘もついてきて、自分にとってより馴染みのある場所になってきた。
 なぜ、自分がこのツアーに参加しているのか、前回のツアー以後、今回のツアー中も含めて自問していた。このツアーのコンセプトは、「ボランティアらしくないからできること」だ。よく、友人や周りの人に何のサークルに入っているかと問われて「ボランティアサークル」と答える自分だが、正直ボランティアをしているという感覚は全くなかった。そもそも「ボランティア」という言葉の解釈は様々あるのだと思うが、私の感覚では、何かを支援したり与えたりしている感覚はなく、むしろ得るものばかりの活動なのだ。だから、この「ボランティアらしくないからできること」というコンセプトのもとで進められる唐桑ツアーが私にはとてもしっくりくる。「ボランティア」に代わるなにかいい言葉はないものか、と思うがまだその答えは出ていない。
 今回でお会いするのは4度目となる、陸前高田の米沢祐一さんは、そこを訪れる人々に対して「何もないところによく来てくれるな、と思う」と仰っていた。それに対して、私はつい「そんなことありません」と即答した。そこに、なぜここに来続けようと思うかのヒントがあったように思う。「確かに、津波で街そのものは流されてなくなってしまったかもしれないけれど、私がここに来るたびに、この街の人々の温かさを様々なところで感じていて、それに触れるたびに「またこの人に会いたいな」という想いになるんです。そういう人や街の温かさがここにはあるし、おいしいご飯だってたくさんある。私は、ここに来たくて来ているんです。」そんなふうに話したと思う。はじめは「支援」のつもりでいたが、このツアーを通して自分の中の根本から、「ここにまた来たい」という想いが生まれた。私の言葉のあと「それ(来たいから来るということ)はいいと思う。そう言ってもらえるとうれしい」と米沢さんが仰ったのを聞き、そんな自分の想いがまたこちらの方にとってもいいことなのかもしれないと思い、それがまた嬉しかった。
 二日目にお会いした、プロの語り部をされている釘子明さんからは、初めて聞く避難所でのエピソードや、災害に備えるべきことなど、かなり具体的な話を詳細に話してくださった。「次に起こるかもしれない災害に備えることが、東日本大震災で亡くなった方への供養にもなる」とのお言葉を聞いて、もう一つ、ここに来続ける理由を見つけたように思う。
 この震災を「忘れてはならない」とはよく聞くし、私もそう思う。しかしこれは、震災を経験した方が言うのと、経験していない私のような立場から言うのとでは少し意味が違うのかもしれない、とこの時思った。言葉の重みの違いということではない(確かにそれもあるかもしれないが)。こちらでお会いする方々が口を揃えて必ず仰るのが、「私たちが経験した苦しみを同じようにあなたに経験してほしくない、絶対に」という言葉である。私はこの言葉を言われてから、東京に戻ってきてもたびたび小さな地震が起こると、その言葉を仰った方の、その言葉を仰っている時の目が頭をよぎる。そして、小さな地震であっても安心せず、「もし今これが大きな地震だったら自分は生きていられただろうか」と考えるようになった。これは、東北に顔の見えるつながりを持ったからこそ感じられるようになったと思っている。そうは言っても、まだまだ「忘れて」しまう瞬間が私にはあるし、知らないこともたくさんある。だから、自分の気持ちの問題だけでなく、ここに行き続けるべき理由があると感じた。このツアーは、本当に様々なことを自分に気づかせてくれる、意義の大きい活動である。これからも、ずっと続けていくべきだし、自分の意志としても、続けていきたい。

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【2017/03/26 20:02】 | 活動報告
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唐桑ツアー報告書
社会学部現代文化学科1年
木田ちひろ

 2011年3月11日、私はテレビのニュースで震災による東北の被害を知ったが、津波や崩壊した建物を見て、現実に起こっていることとは信じられなかった。被災の状況をどこか遠いところで起こっているものだと感じていたのだ。この5年間、私が出来たことといえば、テレビなどのニュースから情報を得ることや、募金活動に参加することぐらいしかなかった。しかし今回のツアーに参加して、被災地を訪れたことでそこには人が普通に住んでいて、普通に建物が存在していたということを改めて実感した。それは当然のことであるが、初めて東北を訪れた私にとってはとても衝撃的であった。そして、今私たちがやるべきことは何か、今後どのように東北と関わっていくべきか考えさせられた。同時に、「また東北に来たい。」と強く思った。
 最近、あまり震災の復興状況をテレビで放送していなかったので、私はどれくらいの新しい建物が建っているのかと思っていた。実際、私が想像していたよりもあまり復興は進んでおらず、訪れた岩手県陸前高田市では、郊外ではないのにも関わらず、ただの土が広がっていて驚いた。初日は、当時も今も商店を経営している米沢祐一さんの話を伺った。米沢さんは震災が発生する前から、救助されるまでの経験を丁寧に私たちに話してくださった。震災前は平凡な幸せな生活であったこと、大きな津波が襲ってくるとは夢にも思っていなかったこと、津波によって瞬く間に町が泥の海に覆われること、話してくださるすべてが私にとって衝撃的であった。私たちは、米沢さんが実際に避難した建物でお話を伺ったが、私たちのひざ下までしかないような海水が、10メートル以上にもなって襲ってきたという。想像するととても恐ろしく感じた。東日本大震災では、津波による被害が深刻であったということは知っていたが、実際に米沢さんが避難した屋上まで登って、津波が屋上ぎりぎりまで到達したということを知り、どれほどの津波だったかを自分の目で見て感じた。米沢さんは、「今日自分で見たこと、感じたことを、東京に帰って思い出してほしい。そしてまた3か月後、6か月後、1年後にまた同じ場所に訪れてほしい。」とおっしゃっていた。最初、私が現地でできることはどんなことなのかを探っていたが、今回のツアーで見たこと、知ったことを東京の友人に伝えたいと強く思った。
 私の周りに、まだ被災地に行ったことがないという人がたくさんいる中で、今回のツアーに参加できたことは貴重な体験だと思う。ここで見たこと、聞いたこと、知ったことを自分の中で完結させるのではなく、家族、友人に一人でも多くの人に伝えたいと思う。東京で私たちが直接的に彼らの復興を支援するのは難しい。しかし、唐桑ツアーで見て感じたことを自分の中で学びを深めて、更に成長すること、それが結果的に東北のために役立つことができたらいいと思う。


【2017/03/26 20:00】 | 活動報告
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唐桑ツアー報告
社会学部現代文化学科2年
殿塚綾子

 私が今回唐桑ツアーに参加したのは、もう一度会いたい人たちがいたからだ。
 私は夏と秋の2度、社会学部の授業で唐桑にフィールドワークに行っていた。3度目の唐桑だったことになる。唐桑には何度も行きたくなるような魅力がたくさんある。気候、食、人などがそうだ。
 年末の唐桑は東北らしくものすごく寒かったが、雪は降っておらず風が冷たかった。宮城県北部から突き出た半島である唐桑は、風通しが良く雪雲がとどまらないかららしい。三日目に、全員で人々の信仰を集める早馬神社の本殿がある早馬山に登った。登っている最中に見渡せた太平洋と半島の内湾の冬の海には牡蠣養殖のいかだが並び、美しかった。
 また景勝地である「折石」を見に行った時は、自然のパワーに圧倒された。折石は唐桑半島の先端、巨釜(おがま)半造から見える、海に立つ巨大な石柱のことだ。あたりは岩場になっており、折石以外の巨石や足元の崖に波が激しく打ち付けていた。大きくしぶきがたった瞬間をカメラに収めようと全員が何度もシャッターを切った。私たちしかいないような静かな場所だったが、私はとても好きだったし他の人でも感動できるものだと思った。
 私たちが宿泊した民宿「つなかん」は牡蠣養殖業を営んでいる。毎日の夜ご飯には牡蠣をつかった料理がたっぷり出た。加えて牡蠣に並ぶ唐桑の養殖業であるホタテや、ホヤもこれでもかと並んだ。唐桑で食べるたんぱく質の9割は海産物だと思う。しかもとびきり新鮮だ。一度つなかんで食事をしてしまうと、東京の時間のたった小さな牡蠣を見るたびにここを思い出してしまう。最終日には少しだけ牡蠣剥きの様子も見学させていただいた。山のように積まれた牡蠣(私たちにはどこが牡蠣になっているのかわからないが)から正確に口にナイフを差し入れ全く傷つけずに一瞬で身を取り出す手際の良さは感動した。
 最後に、私が最も唐桑の魅力だと思うのが人の良さだ。私が会いたかったのは、過去二度お会いしたことのある唐桑唯一の専業野菜農家・Mさんだ。Mさんのもとには全員でお邪魔し、家にあげてもらってお話をうかがった。Mさんはお話を聞かせてくれただけでなく、移動の車にも同乗させてくれたり笑わせたりしてくれた。つなかんの看板女将であるいちよさんも、お手伝いのHさんもそうだ。喫茶店ジジのオーナー夫妻やユースホステルのオーナーやスタッフもそうだ。唐桑の人々はとにかく寛容で、受け入れてくれるだけでなく歓迎してくれ、そして人懐っこい。どんな人見知りでも心を許してしまう安心感が、みんな癖になってしまうのだと思う。間違いなく、私もその一人だ。行くたびに新たな一面が見えたり知らない人と知り合えたりする土地に、もう一度行けてよかった。同時に、また行きたいと思う。唐桑ツアー運営スタッフ、現地の方々ありがとうございました。


【2017/03/26 19:59】 | 活動報告
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2016年12月第11回唐桑ツアー報告書
経済学部経済学科 2年
船田 駿介

 私は今回のツアーは、3回目の参加となった。3回目は正直、今までで1番苦労が多かった。上の代のツアー運営者がいなくなり、自分たちがやっていかなくてはいけないというのを肌で感じた。そういう運営面では、かなりしんどいものがあった。どうしたら心からそういったつらさのしがらみから解放されるかばかり考えていた。逆に、そんな運営面でのつらさを唐桑で出会った人の言葉で癒されている自分がいた。運営という苦労を現地で癒すそんなツアーだった。だから、唐桑ツアーのいつもの楽しさはなかった。最初にこんなにもネガティブな発言をしてしまったが、これが正直な私の思いであり、よかったことばかり書いてもそれは自分に嘘をつくことになってしまうので、その点は大目に見てほしい。
 以下、現地での私の感じたことである。初日、陸前高田の語り部米沢さんのお話をビルの上で聞いた。相変らず陸前高田の夕方は寒かった。この寒さは3回程度では慣れないです笑。山側には、ショッピングモールのマイヤと図書館が建設され始めていた。やっと、まちづくりがスタートしたのだと実感した。その晩、唐桑町のカエル塾にて国昭さんと再会した。私は、国昭さんの目的を持ってくるなという言葉に救われた。癒しを感じた。
2日目、防災の観点から多くの話をしてくださる釘子さんの講演を聞いた。唐桑ツアーでは、「来てくれるだけでいい」と言ってくださる方ばかりなのに対し、釘子さんは防災意識を持つことを熱心に伝えてくださる方で、唐桑ツアー史上いい意味で異質な方だった。その異質さに、私は少し戸惑ったが、普段の唐桑ツアーでは聞けない多くのことが聞けた気がする。Frontiersは、ジョイスタディプロジェクトという活動で、防災のことを多く扱っている。釘子さんのように、防災を一般の人に伝えるという作業を、私はジョイスタディプロジェクトの中でも活かして行けるのではないか、やっていきたいと感じた。早速、2017年の春休み中に、防災と花見というイベントで活かしたい。防災企画をFrontiers内で考えるのも面白いかもしれない。
3日目、農家のMさんに会った。とても、唐桑らしい人だと思った。私にとって、唐桑らしい人とは、外部から来た人間をスッと受け入れ、ノリが良く、対等にお話をしてくれる、そして、私を癒してくれるような人のことだ。そんな、Mさんの話を聞き、農業という私の中で無知であった分野を教えてくれたことに、純粋に興味を持つ自分がいた。Mさんの畑では、子どもたちに農業を体験させるという活動を行っている。唐桑ツアーでも、1日農業を体験みたいなことをしても面白いと思うし、もっとMさんとの距離を縮めたいとも思った。
私は今、ツアーに義務感で行っているところが間違いなくある。ツアーが無かったら、正直もっと別の三陸地域を見たり、熊本へ行ったり、山古志村へ行ってみたいという思いもあるから、そっちへ足を運びたいとも思う。ただ、1つ言えるのは、唐桑ツアーでなくても、友達と唐桑、陸前高田に観光で行くのはめちゃくちゃ楽しいということ。唐桑ツアーでその楽しさを味わうことができたら、それは私たちにとっても、現地の方にとっても最高なことなのかもしれない。それが私にとっての、最高のツアー運営だ。私はツアー運営を行うチャンスはあと1回あるかないかだと思う。その1回をそんな唐桑ツアーに近づけられたらなと思う。


【2017/03/26 19:58】 | 活動報告
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唐桑ツアー報告書
社会学部社会学科1年
深井吾朗

 私は今回初めて唐桑ツアーに参加した。唐桑はおろか、東北にすら行ったことがなかった私は、このツアーに参加することを楽しみにしていた。唐桑ツアーに大きな期待を込める一方で、震災から五年という節目を経過したこの時期になって初めて東北を訪れるということに対して、いまさら東北を訪れても遅いのではないかという不安もあった。期待と不安の入り交じった気持ちを抱きながら、東北へ出発した。
 一日目。レンタカーを待つ間に立ち寄った気仙沼駅前にある観光案内所で、案内所の方が写真を交えながら震災前後の気仙沼の様子について語って下さった。少し立ち寄っただけの私たちにたくさんのことを語って下さる姿を見て、少しでも私たちに震災について知ってほしいという思いを感じとることができた。昼食を終えた後、陸前高田にある米沢祐一さんのビルを訪れた。米沢さんは、このビルの最も高い部分によじ登って、水しぶきを浴びながらも津波に流されるのを免れたそうだ。私もその場所に登らせていただいた。実際に登って、米沢さんの体験を想像してみた。最初に感じたのは寒さだった。分厚いコートを着ていても寒さで体が震えた。次に孤独感を感じた。辺り一面を海に囲まれ、誰一人周りにいない状況はとにかく怖かっただろう。体調を崩してしまい、米沢さんのお話を最初から聞くことはできなかったが、米沢さんは最後に「今のここからの景色を覚えて、復興が進んだ陸前高田の姿を見にまた来てほしい」とおっしゃられていた。土に覆われた景色はしっかりと目に焼き付けた。一歩でも復興が進んだ姿を見に、必ずまたこの場所を訪れたい。夜は馬場国昭さんに会うために、かえる塾を訪ねた。国昭さんは私たちのことを「震友」だと語って下さった。震災があったからこそ出会えた友であるという意味だ。私は震災をこのように前向きに捉える発想がなかったので、面白い考え方だと思った。
 二日目。語り部として活動されている、釘子明さんの講演を聞いた。実際に避難所の運営に携わった釘子さんだからこそ語れる、避難所での生活のお話は非常に貴重なもので、とても勉強になった。特に、子どもたちから助け合いの輪が広がっていったというお話が印象深かった。講演を聞いた後、釘子さんに陸前高田市内を案内していただいた。タピック45では、建物が震災当時のまま残されており、津波の脅威をまじまじと感じることができた。津波によってねじり切られた木々を見たとき、人間が巻き込まれたらひとたまりもないことがよく分かった。釘子さんと最後に訪れた場所には未だに瓦礫の一部が残されており、震災の爪痕を見ることができた。釘子さんは、おそらくご遺体がまだ土の中にいくつも眠っているとおっしゃられた。震災からもう五年経ったのではなく、まだ五年しか経っていないのだと感じた。
 三日目。唐桑で専業農家をされている、Mさんにお会いした。Mさんのご自宅には津波で浸水した痕が残されていた。私たちはMさんの農場やプライベートビーチを見せていただいた。唐桑の長閑な風景を見て私は、自然は時には我々を襲うが、自然は愛すべきものであり、共存していく必要のあるものであると感じた。Mさんのお話を聞いていると、Mさんの唐桑に対する愛がひしひしと伝わってきた。この日は体調不良のため、昼食前に帰宅した。また機会があれば、Mさんに唐桑を案内していただきたい。
 私は今回の唐桑ツアーを通じて、震災から五年経ったからいまさら行っても遅いのではなく、五年たったからこそ行く意義があるのだと学んだ。テレビや新聞で震災のことが分かったつもりでいたが、やはりそれは間違いであった。実際に行ったからこそ学べたことは本当にたくさんあった。また来てほしいと願うたくさんの人達の思いを受けて、私は必ずまた東北を訪れたい。


【2017/03/26 19:57】 | 活動報告
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