立教生ができる支援とは?立教生ができる支援をやろう!私たちができることを考え実行するプロジェクトとして、立教大学社会学部が立ち上げた「RDY(立教生ができることをやろう)支援プロジェクト」のブログ
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

唐桑ツアー報告書
文学部日本文学専修1年 
仲住若奈

 「また来たい」、このツアーを通して私が一番強く感じたことである。2011年3月11日から5年がたった。当時14歳だった私ができることといえばメディアを通じて知ることや学校で行われる募金活動に参加することであった。今回自らこの唐桑ツアーに行きたいと思い、行動できたことだけでも自分は成長したのではないかと思う。しかしこのツアーに参加したことでこれから私がやるべきことを発見した。
 正直、現地に行く前はどのくらい復興しているのだろうかと考えることが多かった。震災が起きてから復興という言葉が世の中に飛び交い5年という歳月は被災地にどのように影響を与えているのかと考えていた。新しく建物は建っているのだろうか、そのように想像をしつつ私が実際に目にしたものは私の予想をはるかに上回るものだった。
 初日、気仙沼駅から陸前高田へと向かう途中の道は見渡す限り土で私は単純になぜ土ばかりなのだろうと考えていた。津波の被害を受けたということは全く考えていなかった。しかし、米沢さんのお話しを伺うと瞬時に理解することができた。米沢商店があった場所で真横には土砂を運ぶトラックが行き交う中、当時のお話を伺い実際に米沢商店の屋上まで登らせていただいた。震災前後の街並みの写真を見ると体全身に鳥肌が立った。私たちが立っていたあたりは建物が一切なく、町が存在していたとは到底想像することはできなかった。しかしところどころに歩道が残っているのを見て現実に起こったことなのだと実感した。当時米沢さんが避難したという屋上にも登ったが普段私たちのひざ下までしかないような海の波が10m以上にもなって襲ってくるということに驚いたとともに想像するととても恐ろしかった。東日本大震災は津波の被害が深刻だったということは知っていたが、どれほどの津波だったかを自分の目で見て感じた。また、米沢さんはこれから陸前高田に建設されるという商業施設についても話されていたが話をしている米沢さんからはこれから新たに町が作られていくのを待ちわびている様子が伺えた。「何年後でも良いからまた陸前高田に来てほしい」と最後におっしゃっていたが、3月11日を忘れないためにも、また未来に向かって進んでいることを確かめるためにもまた米沢さんのお話を聞きに陸前高田を訪れたいと強く感じた。
 そして私の周りには被災地に行ったことがないという人も多くいる。私は今回唐桑ツアーに参加できたことはとても貴重な経験だと思う。そして再びこの地を訪れたいと思った。今回は初めて参加し多くの人に教えてもらうことがたくさんあった。この経験を自分の中で完結させてしまうのではなく、次は自ら伝える側の立場になることが必要だと思う。ツアーの中で「発信」という言葉を何度も聞いた。東京にいる私たちは現地のために直接目に見える形でボランティアをするのは難しい。唐桑ツアーで見て感じたことを自分の学びの中に取り入れさらに成長すること、それが結果的に東北のために役立つことができたら良いと思う。さらに周りの人々に発信する、これが被災地に行った人の一つの役目であると感じた。初めは連れていってもらう側の人が次行くときには新しい人を連れていく側となる。この連鎖を広げていき東京と東北をつなげる架け橋のようになることができるように私はこれから発信し続けていきたいと思う。唐桑ツアーでは出会った多くの人々の温かさに触れることができ、またおいでとおっしゃっていた。次に行くときはまた感じ方が変わり考えることも多くなるだろう。「また行きたい」という気持ちを忘れずに今、自分ができることを少しずつしていきたいと思う。
 
スポンサーサイト

【2016/04/19 15:52】 | 活動報告
トラックバック(0) |
唐桑ツアー報告書、被災地への思い
経済学部経済学科1年
船田駿介

 僕が東日本大震災と初めて関わったのは高校2年の夏。あの時僕は、被災した中学生が、僕ら東京の学生となんら変わらない様子だったのを目の当たりにし、何も考えずにいた2年半が情けなく感じた。そして、とりあえず自分ができるだけ早く被災地を訪れることができればいいなと思った。そして、大学へ入学し、11月初旬、初めて被災地(大槌町、釜石市)を訪れた。そのときの感想は、何もない更地があるのはある程度予想していたし、メディアで見てきた被災地の姿とギャップをあまり感じず、「まあこんなもんだろうな」という思いが心のどこかにあった。
 そして震災から丸5年、唐桑ツアーを迎えた。唐桑ツアー自体が、世間一般で言われるようなボランティアじゃないっていうのはわかっていたし、たくさんの面白い方々に会えるのはわかっていたから、「その場(現地)の雰囲気に身を任せ、吸収できる話は真剣に聞き、被災者のニーズ調査というFrontiersの目的を忘れないで常に気にしておくというのを心にとめておけば、何か自分にとっていいことが起こるだろう」、そう思ってツアーに臨んだ。結果、僕はこの唐桑ツアーに行って本当によかったと思う。
 一つの理由は、震災発生から現在までにさまざまなメディアが自分の頭の中に作りあげたイメージを、破壊することができたからだ。それを破壊してくれた米沢さんに出会えたことは本当に良かったと思う。米沢さんの震災当時の再現と津波の動画で、僕の中の震災のイメージは180度変わった。米沢さんが見せてくれた動画は、一人大海原に放り出されて、誰も助けにきてくれないという情景を連想させた。今までテレビやネット越しに見てきた動画は必ず高台にあり、何か手前に目に入るものがあった。米沢さんの撮った動画にはそれが一切無かった。それが無いのは本当に恐怖でしかなかった。この動画を見ていなければ、被災地への関心は徐々に消え、ただ自分はいい人であるという妄想を膨らまし、それに気づかず被災地を訪れるだけの偽善者になっていたかもしれない。それくらい、米沢さんとの出会いは、自分の中の被災地に対する思いを変えたと思う。
 もう一つのツアーに行って良かったと思えた理由は、自分がこれからできること、したいことが見つかったからだ。今回のツアーの目的の一つだった現地の方のニーズ調査の結果は、東京の学生が現地で「楽しい」と感じることが、被災者の方々が求めているものということでほとんど共通していた。支援認定を受けたりしているのに、「楽しい」だけでいいの?というのにFrontiersは今まで躓いてきたと思う。でも、「楽しい」でいいと思う。だって、それが現地の方々のニーズなのだから。僕にとって「楽しい」と感じた瞬間は、やっぱり東北というフィールドを肌で感じながらいろんなことを知っていく時、陸前高田を自転車で走っている時だった。震災から5年たった3月11日の陸前高田の空は透き通っていた。そこを走っている時、「ここにこんなものがあるんだ。」と地図と照らし合わせるのが、純粋に楽しかった。個人的に感じていることだが、Frontiersメンバーの「楽しい」とは、現地の人と仲良くなる、そういう「楽しい」という意味合いが強いと思う。もちろん「楽しい」の形は人それぞれだ。だから、それを続けていくのは素晴らしいし、僕もそういう風な「楽しい」が続けばと思う。でも、僕的にはそこに執着したくない。だから、ここってこだわらず、もっと別の場所も見て、自分ができる限りたくさんの人に出会って、たくさんのことを知って、まだ知らない人に伝えたい。まだ知らない人が、その人にとっての「楽しい」の形を見つけることができれば、なおさらいい。そういった東北との関わり方が僕にとっての「楽しい」の形の究極であり、これから目指すべきものであると感じている。でもそれは理想だから、まずは次のツアーで新しい人と出会ってみたいし、今までFrontiersがお世話になってきた方々との関係性を深めるということから始めたいと思う。初めて、自分個人の東北に対する思いを持てた点で、唐桑ツアーに行けて、本当によかったと感じた。
 今まで書き記したように、初めての唐桑ツアーは、団体としての東北への思いというより、個人としての東北への思いのツアーだった気がする。だけど、個人の思いをこうやって文字に表すことができたので、これを忘れずに次の唐桑ツアーに活かしていきたい。
 高校時代から被災地に訪れたいというぼんやりとした思いが、この唐桑ツアーを経験することによって、自分がこれからしたいことを見つけることができ、少しは形になった気がする。欲を言えば、もっと早くに被災地に関心を向けていたかった。でも、僕自身、時間が経過してから関心を持つようになったので、まだまだ僕のようにこれから関心を持ってくれる人はたくさんいるはずだ。その人のためになるように東北との関わりを続けたいし、そこだけにとどまらせたくない。


【2016/04/19 15:51】 | 活動報告
トラックバック(0) |
唐桑ツアー報告書
異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科1年 
岩邊夏帆

 東日本大震災が起こったとき、私は中学二年生でした。静岡県出身で幼いころから「いつか大きな地震が起きる」、「ここまで津波が来るだろう」とよく言われていた私は津波の映像を見ながらどこか他人事には思えず、しかし同時にそれが現実に起きているとは信じられなかった。それから五年間、被災地のためになにかしようと行動することなく過ごしてきた。その間、同じ日本国内で起こったことであるのに、どこか遠いところで起こったことのように感じていた。しかし、今回唐桑ツアーに参加し、被災地を訪ねたことで、震災は実際に起こったのだ、そこには街があり、人が暮らしていたのだと実感した。それは当たり前のことだが、私にとっては大きな衝撃であり、同じような衝撃をより多くの人に感じてほしいと思った。
 ツアー1日目は岩手県陸前高田市を訪ね、米沢祐一さんのお話を伺った。米沢さんは地震が起こる前から救助されるまでの経験を時系列に沿って、米沢さんが避難した米沢ビルで、話してくださった。地震発生前には幸せな日常があったこと、津波が来るとは思いもよらなかったこと、津波によって町全体が海と化したこと、米沢さんの語ったすべてが衝撃的だった。米沢ビルの屋上は風が強く、凍えるような寒さで、津波が町を襲ってから翌日救助されるまで、米沢さんが一人そこで過ごしたときの状況がどんなに厳しかったのかわかった。話をする前とした後で、米沢さんは「今日聞いたこと、見たことをふと思い出したときでいいから、家族や友人、恋人に伝えてほしい」「半年後、三年後、五年後の陸前高田を見に来てほしい」と言っていた。その言葉で2日目以降の私の唐桑ツアーへの取り組み方が変わった。初めは現地で自分たちにできることは何なのか探る目的を持って行ったが、今回ツアーで見たこと知ったことをできるだけ多く、東京や地元の友人に伝えたい、たくさん写真を撮って帰りたい、それが東京に本拠地を持つ私たちにできることではないかと思うようになった。
 2日目には、陸前高田市の震災遺構を巡り、一本松に行った後、気仙沼市の安波山で地震発生時刻を迎えた。この日は誰かに話を聞く機会は少なかった。しかし、3月11日を陸前高田と気仙沼で過ごせたことはとても価値あることのように感じた。ついこの間まで遠いどこかで起こったことのように考えていたのに、今私はその土地にいるのだと意識し、安波山から見下ろせる、静かな町を地震と津波が襲ったのだと考えると不思議な感覚がした。一つ、2日目に驚いたことがあった。唐桑ツアーに参加する前、5年間なにもしなかった、今回はじめて東北を訪れる私が、3月11日をその地で迎えていいのだろうか、受け入れてもらえるのだろうかと不安に思っていた。しかし、当日、意外にも自然に安波山で黙とうをし、陸前高田市の追悼式会場で献花をさせてもらえた。不安に思っていた具体的な理由はないが、そのことにとても驚き、それと同時に、再度なにか自分にできることをしたい、考えたいと思った。
 3日目には7月の出張カエル塾でもお話を伺った馬場国昭さんにお会いした。馬場さんとの会話の中で、唐桑ツアーの意義について考えることができた。唐桑ツアーはほかのボランティア活動とは異なる点が多い。今回初めて参加する私にとってそれが正しいのかどうかわからなかった。ツアー3日目には来てよかった、また来たいという感想を持っていた。しかし、それはツアー参加者としての感想であり、現地の方々がどう思っているかは見当もつかなかった。馬場さんは私たちに訪れた学生たちの笑顔について話してくださった。それによって現地に来て何かをすることではなく、現地に来て現地の方と交流する重要性を実感した。先輩たちが続けてきた唐桑ツアーの価値を知ることができた。
 2016年3月に東北に訪れたことによって、私は自分の東北とのかかわり方について考えさせられた。今回のツアーでは、第一にツアーで自分たちが得たものをより多くの人に伝えたい、同じ経験をしてもらいたいと感じた。それが私にできる価値のあることだと思う。また、必ず来年度も東北に行きたいと強く思った。変わっていく様子を見てみたいし、先輩たちのようなつながりを築いていきたい。


【2016/04/19 15:49】 | 活動報告
トラックバック(0) |
唐桑ツアー報告書
社会学部現代文化学科1年 
珠村 智

 私は唐桑ツアーに初めて参加したことで、現地の人やボランティアで来た人たちの話を聞き、東日本大震災について新しい知見を得られたと考えています。
 1日目、唐桑ツアーに初めて参加した学生は米沢祐一さんを伺い、地震と津波の体験を実際の現場で聞かせていただきました。米沢さんのお話は以前テレビでも見聞きしたことがありました。けれど、米沢さんの口から出る言葉の一つ一つを聞くと、テレビでは絶対に伝わらないことがあると実感しました。米沢さんの話す間や、表情といったものを私の言葉で表すことはできませんが、そうしたものを受け取ることができ、震災の恐ろしさが深く胸に刻まれました。テレビや新聞では、何メートルの津波が来た、といった数値の情報を提示します。しかしそのスケール感を知ることができるのは、現地のほかないと知ることになりました。
 唐桑ツアーの2日目、3月11日は奇跡の一本松や安波山をめぐりました。私は唐桑ツアーとは別に、東北を個人的に旅行したことがあり、奇跡の一本松に行くのは2度目でした。一本松で思ったことを正直に述べるのならば、私はこの時、ガッカリとしたのです。一本松は震災のシンボルでしかなく、それ以上のものではないと感じました。また、現地にいる人々の様子を記録するため、携帯電話で写真を撮る自分は、不謹慎な観光客のようでもありました。ここで写真を撮るだけでは、何も意味がないと感じ、自分にできることを深く考えようと思うきっかけになりました。
 3月11日の2時46分、地震が発生した時刻は気仙沼の安波山で迎えました。そこから見える海は深い青色をしており、津波が起きたとは思えないほど穏やかな情景でした。そこで1分間の黙とうをささげたとき、私の中に込み上げてきた感情は、「また来たい」というものでした。東北で多くの人、物が失われたという事実を再認識し、ここに再び来たら、何が変わっているのだろう、という一種の期待と、自分もその中に加わりたいという思いが強まった気がします。
 3日目は馬場国昭さんのお話を聞き、その後福祉の里C棟を訪れました。馬場さんのお話は昨年7月にFrontiersが開いた講演会「出張カエル塾」で一度聞いていました。しかしいざカエル塾に行ったとき、そこは全く違うものだと感じました。まるで実家に帰ってきたかのような安心感。いや、カエル塾には一度も行ったことはないのに、自分の住んでいる家と同じように居心地がよかったのです。それはきっと、馬場さんの人柄も影響しているのでしょう。馬場さんは今まで会ったことのあるどんな人とも異なる人物のように思います。偉大で、でもなぜか親近感の湧く存在。純粋に会って話を聞きたいと思わせる人物。この時Frontiersの人たちが唐桑を好きになる理由が完全に分かりました。
 福祉の里C棟では先生を含め全員が和やかな雰囲気でお話をしていました。と、同時にテレビで何度も見たことのある仮設住宅というものの実態を垣間見ることができました。仮設は狭く、そして寒い。にもかかわらず、そこにいる人たちはアットホームで暖かい。多くのものが失われた震災を経て、改めて人とのつながりの重要さを知る場でした。唐桑ツアーがなければ出会うことがなかった人たちとのつながりを感じ、この唐桑ツアーを終えました。
 唐桑ツアーに参加することで、復興というものについて強く感じることがありました。自分も一緒に復興に携わっていきたい。それも、被災者と支援者といった堅苦しい上下関係ではなく、共に、楽しみながら新しいものを創り上げていく。そういった復興の形があってもいいと私は考えるようになりました。今、東京と東北のつながりはどれほどあるのでしょうか。今回出会った多くの方が口にしていた『東北に来るだけでもいい』という思い。この言葉は東北とのつながりが何よりも重要だという意味だと思います。
 このような素晴らしい機会を与えてくれたFrontiersメンバーや社会学部の方々、そして協力してくださった東北の皆様に感謝しています。こうしたイベントがこれからも行われ、東北の素晴らしさと震災の教訓が伝わっていくことを望みます。


【2016/04/19 15:48】 | 活動報告
トラックバック(0) |
唐桑ツアー報告書
社会学部メディア社会学科2年 
徐劼劼

 今回は私の10回目の東北への旅、3回目の唐桑ツアー。
 あれから5年。とても長いような気もするが、あっという間だった気もする。今回の唐桑ツアーは現地がどうなっているかをもう一度自分の目で確認したが、それより、自分のこの震災と関わっている5年間の時間を振り返るきっかけになった。
 今の大学1年生の人はその時中学2年生だった。震災の年に産まれた子も小学生になる。その時日本に来た1が月も経ってなく日本語全く喋れなかった自分は、今大学で勉強している。この5年間は、自分にとっての意味ももう一度確認したくなる。
5年という月日の間に「復興」の度合いも人により差が開いている。未だに仮設住宅の中に暮らしている人はいる。一方で災害公営住宅へ引越し、新生活を始めようとしている人もいる。昔住んでいた場所への帰還を待っている人もいる。一方でふるさとに帰ることを諦め、新しい場所に生活することを決めた人もいる。5年も経った今でも、東北という土地に震災の大きな跡が残っている。
私たち今回のツアーで出会った鈴木茂さんは昔唐桑の小鯖地区でずっと暮らしていた。震災で自分の家は全壊した。しかし、彼はこの5年間でずっと小鯖地区の再建のため、力を尽くした。やっと、小鯖地区の集団移転ができ、3月11日の午前中に鍵渡すことができた。小鯖地区の住民たちはようやく仮設暮らしと別れ、新生活を始めるになった。この5年間は、彼にとってきっととても長いと感じるでしょう。
 そして、現地で私たちのような大学生に震災経験と人生経験を語ってくれ、今までも何回もお世話になっているカエル塾の馬場国昭さんは、震災のおかけで、学生からたくさん元気づけられたそうです。震災のきっかけで、自分が若い友たちたくさんでき、「震友」がたくさんできた。この5年間も同じく忙しかっただろうが、きっと悲しい思いより、笑い声のほうがよりカエル塾で聞こえるでしょう。5年間はあっという間と感じたかもしれない。
 私も、迷った自分が震災の時に、なんか「頑張らなきゃ」を感じられたような、もっとしっかり自分の人生を歩くことを決めた。大学に入学した後にも、恩返しのような被災地のボランティア活動をし始めた。しかし、何度も現地へ行き、現地の人と仲良くなり、何らかの不思議のつながりができてしまった。今つなかんへ行くと、もちろん、「お邪魔します」じゃなくて、「ただいま」を言う。唐桑へ行くことも、奇妙に里帰りの感覚がする。私はこの感覚をずっと大事しにしたい。この5年間の時間も、ずっと大事にしていきたいと思う。
 これは、今回「5年」という節目の時の唐桑ツアーで感じたもの。きっと、こう思ったのは自分だけではないと思う。震災経験自体はとでも悲しいことと思う。あの大きすぎる体験を私たちは忘れてはいけないと思う。しかし、その悲しみの終点に生まれたのは、私が現地で確実に感じた喜びである。その喜びは、「復興」に対して、大きな意味があると思う。その「喜び」のためでも、「復興」はこれからずっとやるべきだと思う。
 次の唐桑ツアーは参加するかどうかは分からない。当たり前ように参加するかもしれない。しかし、まだ昔の自分の姿や感覚で行くと何かの違和感を感じる。この5年間を経験した後の自分、成長した、あるいは変わった自分なら、行けるかもしれないが、その自分はどこにいるのはもう少し模索したい。


【2016/04/19 15:47】 | 活動報告
トラックバック(0) |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。